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わらしべジェットコースター

久しぶりのむらくもやま会合、あれはおいしかったなあ…。 近所にあることは知っていたがなんとなく素通りしていたお店に連れて行ってもらって、三人でひたすら平らげるのはとうもろこしのかき揚げとか鴨のステーキとか新レンコンや舞茸の天ぷらとかカンパチのフライとかアンチョビが本気のアンチョビポテトとかいちじくバターとか なんかそういう、肩ひじ張らずに美味しくて、でもちょっとひねってあるメニューの数々。 明るいうちからはじまる宴、季節感も手伝って何を食べてもおいしくて、楽しいメンバーでお酒も進むし例によってしっかり酔っ払って またじぶんばっかり喋っていた気がします。もっと聞きたい話あったはずなのに。ワーン。すぐ調子に乗るんだから!! それくらい楽しかった。 あと本当にメニューの端から端まで食べたかった。5時間あっても足りないぜあれは。 さて、それから実家に顔出したり働いたりしたら一週間なんてあっと言う間でした。 というわけで、むらくもやま会合から1週間後の話を。 実はこのところ平日は本業、土日はお代をいただく制作物(つまり副業)でずっと稼働しており、この週末が副業のほうのヤマだったのだが、 まあちょっとしたことでつまづいて、解決策を見出すまでに紆余曲折あり「イーーーーーッ」となってしまったため(そしてひとまず道筋はみえたので)、気分転換しようと外に出たのである。 レターパックが入り用だったのでローソンに行って、ついでにからあげクンでも食べよう、と思って直接レジに行ったら、 レターパック売り切れ いやいやこれじゃあただからあげクンだけ買いに来たみたいじゃないか…と少々がっかりしながらぶら下げたサコッシュにほかほかのからあげクンを押し込んだ。 踏んだり蹴ったりだなあと思いながら、甘いものを飲みたくてふらふらスタバに立ち寄ったところ、レジのお姉さんがなかなか陽気な人で、まず私がぶら下げたサコッシュを褒めてくれる。 「わあ、かわいいですね」 「いやほったらかしてたんでホコリまみれですけど」 「そうですか?」 褒められて悪い気はしない。このサコッシュ、自分で描いたイラストをシルクスクリーンで刷って愛用(のわりにホコリまみれ)していたので、あえて言わないがちょっとうれしい。 だから、口が滑ったのだ。 「そういう、サコッシュっていいですよね。見た目よりたくさん入りそう」 「いまからあげクン入っ...

自分で増やして自分でほどいて

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 むらくもやま日記が始まって、もう一年も経つとは!  遡ってみると、私は昨年の7月29日付で「日のくれぬうちに」と題した日記を書いていた。あの文章で触れたポストカードはまだ机の横に貼ってあり、憂いた夏の暑さは更にパワーアップして我々を襲っている。梅雨が明けてからは外気もわずかにカラッとしたような気がしなくもないけれど、それでも暑いことには変わりない。  くらくらするほどの熱気の中、私は店で初めてのイベントを開催したり、YouTubeに動画の投稿を始めてみたり、合間にワークショップの運営手伝いをしたり、主催する文芸誌の原稿をもりもり拝読したりしていた。  やけに働いた気になっていたが、こうして書き連ねてみると自分で作り自分で増やした仕事ばかりだ。あとはこれらの仕事のいずれかが、慎ましく暮らし続けられるだけのお金になればよいのだけれど……まあ、それは追々、いつか、そのうちに。  せめて気持ちだけはへこたれぬよう、むんと胸を張って水筒を抱える日々であります。お二人も、くれぐれもご自愛ください。  さて、そんな日々の中、唐突に編み物に目覚めている。  これは初めて編んだペンケース。愛用の万年筆と水性ペンは問題なく入ったものの、メタシルという短くならない鉛筆の頭が突き出すため、今はかぎ針入れになっている。  こっちは、その次に編んだスマホを入れるポシェット。色も形も上手くいったはずが、いざ使ったところ中に入れたスマホの重みで面白いほど肩紐が伸びた。  ただでさえ猛暑たる今、なぜ編み物に手を出したのか。きっかけは先述したYouTubeの動画投稿だ。  私も動画編集を始めるまで知らなかったのだけれど、動画というのは編集した後に「書き出し」という作業が発生する。編集時に追加した音楽やら効果音やらをまとめ、一つの動画データにするのだ。画像でいうところのレイヤー統合や、ラスタライズのようなイメージだろうか。  書き出し作業といっても私のやることはボタンを一度押すだけなのだが、大変なのはこの後だ。  私のパソコンはもともと、仕事と文章作成と……あとは同人誌の表紙を作ることにしか使わない想定で買い求めたものである。動画を編集して書き出して、なんてことをするには、たぶんスペックが少し足りないのだろう。  つまり何が起こるかというと、この「書き出し」ボタンを押した後、完了するまでにそれなりの時...

こんなところに素敵な場所があるじゃないか

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 むらくもやま交換日記が始まって1年が経った。 おいしいものや楽しい時間を共有できる関係が続いていて、ありがたいかぎりである。 「白髪の道場破り」という日記を去年の7月28日に書いた。 初めて目についた自身の白髪について取り上げたのだが、 実はこの白髪、まだ私の前髪に居着いている。 目立つ日と目立たない日があるが、かき分ければそこにいる。 排水溝が毎日ホラー映画並みに抜け毛多いマンの私にとっては、1年ももつのは意外だった。 そして白髪の本数はそれ以上増えていない(ようだ、見える範囲では)。 下の毛にも1本白髪が生えた時期があって、こちらは私以外に見せる相手もいないのでアルビノちゃんとしてひとり目で愛でていたが、およそ10か月ほどで消えてしまった。 道場破りについては、相変わらず続けている。 今年の7月は三重に行く途中に立ち寄った名古屋のボードゲームバー店員と戦ってもらった(びりびりに破った) 9月は札幌で段位名人とお手合わせ願う手はずとなっている。 称号は女王ではなく魔王になった。 おばけキャッチのおかげで、初めての場所でも恐れなく飛び込むことができ(私にはおばけキャッチがあるからなという無駄な自信)、知り合いが増え、ボードゲーム界隈が以前よりも近しく感じられるようになった。 最近は初めてのゲームを遊べるのが楽しくて、いろいろやってみたいお年頃である。下手で負けまくってもいいんだ(私にはおばけキャッチがあるからなという無駄な自信) 11月にはボードゲームのイベントにも出店しようと考えている。 過去に戦った人に「イベント来てね」と宣伝するのは、なんか、めっためたに倒しておいてお前何言ってんだと思われない気もしないでもないが、しょうがない。 おばけキャッチの強い人を探しながら、おばけキャッチの楽しさを伝えられるよう励んでまいります。 ……と、ここで終わろうと思ったのだが 神保町の話してもいいかなー?(いいよー) 7月の26・27・29日、ひじきは神保町の学士会館にいた。 学士会館とは何か。 実のところ、泊まるまでよく知らなかった。 すっごくいいから泊まろうよと言われて、付いて行っただけである。信頼の置けるKさんががそういうならすっごくいいのであろう。 学士会館は、宿泊、レストラン、会議室、結婚式場などを擁する学士会会員のための倶楽部施設である。1928(昭和3)...

日々は続く

うわ二週間経っとる! どうかご容赦ください、遊び呆けていたわけではないのだ。 仕事がバタついてるのはいつものことなのだが、 七月上旬に祖母が亡くなり、前後で心がなかなか落ち着かなかったというのがとても大きい。十年以上前に祖父が亡くなったときはもっとたくさん親類がいたのに、残された人間は数えるほどになってしまった。 コロナ禍もあって数年ぶりの長崎、ずっと良くないのは聞いていたから心構えはできていると思っていた。 思っていたのだけど、目の当たりにするともうダメだった。 祖母は誰からも愛されて、おしゃれだし多才だしいつもきちんとしているし威張ったところもない、身内びいきでなく本当に立派な人だった。だった、というのが過去を実感してまだ切ない、というのは置いといて、いい思い出は山ほどあるはずなのに、失ってみると後悔ばかりがよぎる。 忙しいだなんだ、コロナだなんだ、たしかに身体が弱っている相手にホイホイ会いに行くのは憚られるが、なりふり構わずに会いに行けばよかった。節目節目でかならず背中を押してくれて、いいことがあれば一緒に喜んでくれて、大人になってからは夜更かしして色んな話ができるようになって、でも住まいが離れているからそんな機会も数えるほど。 何も、何もできなかった。 まだ何も返せていない、いや、この先も返せるかどうかは怪しいが、そうじゃなくて。 残されるというのはこういうことなのだ。 もう会えない悲しみと同じくらいの重さで、情けない気持ちがずっしりと身体の底に沈む。 祖母には信念というより覚悟のような「こうありたい」があって、揺らがない芯はありつつ人当たりは朗らかなのが素晴らしいところでもあり、恐ろしくもあった。なんでそこまでできるんだろう。すぐ癇癪を巻き散らかす孫は不思議でしょうがなく、がっかりされるのが怖かった。だからずっと、祖母(祖父も)に対しては他人行儀なところがあって、なかなかべったり甘えることができなかった。 いつも朗らかで、人の悪口を言わず、どんな相手にも心を配る。 離れていても、そういう祖母を見てきたのだ。私もそうなりたいし、そうありたいと思い続けることがきっと大事だ。 私の後悔は、これからの生き方で少しずつ溶かしていけたらいい。 生きている私達の日々は続くし、立場も仕事も人間関係も山ほどあるし食事も睡眠も生きることすべてを考え続けていくのだ。ずっとひとつ...

背中で合掌

ひじきさんが文披について触れていた。定期更新に不安があるとのことだったが、安心してほしい。現在すでに七月の十五日だけれど、私はまだ二日目の文を披いている最中だ。 たしか去年も、翌年の六月くらいまで取り組んでいたのではなかったっけ……企画の主催さんが「期限はとくに定めないよ」と公言しておられるため、全力で甘えているのだった。今年も甘える予定です。日ごと順繰りにお題を消化するとしておきながら、まだDAY1のお題分しか書き上げていない参加者なんて私くらいのものじゃないだろうか。皆の希望の光として、今年もじっくり取り組んでゆきたいと思う。 そんなこんなで七月の中旬である。つい先日、私は人生で初の体験をした。クロップドトップス、いわゆる「へそ出し」の服に手を出したのだ。 私も昨年までは戸惑いがあった。こんな歳でああも肌を出す服を着たりしたら、さすがにお腹を壊してしまうんじゃないかしら。大人たるもの、いついかなるときも腹だけは温めておくべきじゃないかしら……と。 しかして、この暑さである。猛暑酷暑をゆうに超え、最近は「殺人的な暑さ」なんて言葉まで耳にする始末。とにもかくにも、大切なのは体温を上げすぎないこと。ひいては熱中症の予防。それ以外に何を気にすべきだというのだろう。 そういった気持ちで腹を出し始め、わかったことがある。 まず、腹を出すと、大変に姿勢がよくなる。私が見栄っ張りだからかもしれないが、可能であれば可能なかぎり、町中のショーウィンドウに映る自分は自分の望むような姿をしていたい。具体的には、お腹はそこそこに凹み、腹筋の筋は美しく浮き上がっていてほしい。となると自然、体幹が常に緊張するようになるのだ。これはいい筋トレになる。何につけても、筋肉、すなわちパワーがあるのはよいことだ。 そして腹を出すと、出さぬうちは知り得なかった自分自身について知ることができる。私は腹を出すようになり、露出する肌に日焼け止めを塗るようになって初めて、自分の腹のあたりにある薄い痣だとかほくろだとか、むかし怪我をしてちょっと硬くなっている箇所だとかをまじまじと見た。 この身体とは三十年以上の付き合いだ。ゆえに私は私のことを、少なくとも半分くらいは理解しコントロールしえている。そう自負していたのだけれど……どうやらそれは間違いであったらしい。私は自分の身体のことを、あまりにも知らない。 お腹だけ...

手を繋ごうか、ためらう

 7月が始まり、草群さんとやまおり亭さんがふみをひらいている。 31日分のお題に一貫した登場人物と筋道で小説を紡ぐのは並大抵のことではない。 31日分の設定を考えて読み切りを書くより楽だよという人もいるが、そういう基準じゃないんだよ。 みんなが参加します!って表明するものだから、お祭り気分には乗っかりたい(踊るタイプの阿呆)ひじきも、いいなー私もやるか?と検討するだけしたが31題は多すぎる。 でもだからこそ、書き終えたら次のイベントで楽に1冊新刊が生やせるくらいの成果になるわけだけど。 月に1個~2個ならまだしも、いくつかストックしたところで追いつかれるのは目に見えているのだ。秋になっても冬になっても終わらなかったらどうしよう。 140字のついのべでもいいし、書きやすいところだけ書いてもいいよというゆるい規約なのは知っているが、どうせならもったいないというかやるなら苦しいこじつけを楽しむのを含めて全部やりたいしなーと、無為に過ぎていった。 書きたい設定をぼんやり考える楽しい時間としては活用させてもらった。お祭りだからこそ、ふざけられるネタはある。今回の文披でなくとも、そのうちに。 ので、お二人の作品は楽しく追いかけさせていただきます。   去年の8月の日記「おばさんになっても」に、 「結婚をし、子供を産み育て、若い時ほど自由に出歩かなくなった友人は多い。 約束をするなら子を預けられるようかなり前もって、夕方には帰宅できるような距離で、遠出や宿泊を伴う旅行はもってのほか。家族の体調不良でドタキャンもあり得る。 最近知り合った人はともかく、高校・大学からの同年代の友人はそういう時期だ。」 ということを書いたが、 今度は、子連れで会うということもたまに起こるようになった。 3歳だったり5歳だったり、言葉も通じお出かけができるようになってきた年頃。預けるのが難しくなっちゃったから、子連れでもよいかという。 もちろんよい、待ち合わせの場所もお店も相手の都合に合わせよう。 ただ……ただね、私は小さい人の対応に慣れていない。 いや、ちょっと違うな。 小さい人に対応する様を親であるところの友人に見られるのが苦手でうまく振舞えない。 小さい人の相手をするのは、嫌いというわけではないし、期間限定で過ごせと言われれば過ごせるのだ。 昔は年下のいとこに付き合ったし、 今な...

塗りと余白

塗りのお箸を買いました。 食いしん坊を名乗るなら、いずれはいい箸を使いたいと思っていたのだ。ウレタン塗装も楽で良いけれど、漆塗りはまた別の良さがある。真っ黒も真っ赤もいいけれど、私は溜塗が好きだ。朱で中塗りして、半透明の透き漆を塗り重ねる。新しいうちは黒っぽいんだが、使っていくうちに色味が変わる。少しずつ透明感が出てくるのだ。 この色が好きでなあ。 溜塗の椀も持っている。これは、ヒカリエにある食堂で使っている小どんぶりぐらいの椀の感じがとてもよかったので、通販で同じものを買おうとしたらサイズを間違えて普通の汁椀サイズだったという、 まあでも、日々の味噌汁が格上げされてこれはこれでよい。 ただなあ、味噌汁も豚汁もがぶがぶ飲みたいので(いつか塩分過多で死ぬ)(汗っかきだから意外に大丈夫な気もする)、やっぱり小どんぶりサイズもいずれは、と思っている。 椀は浄法寺塗、箸は東京の職人のもので、丸太から削り出した逸品だったらしい。 らしい、というのは、塗りの見た目と手にしたときの細さがしっくりきただけで「ください」したため、添えられていたリーフレットであとから知ったのだった。 見る目あるじゃーん。 椀は使いはじめてしばらく経ち、いい具合に透け感が出てきた。 箸は四月の自分の誕生日にでも、と思っていたのだが、自分のためにじっくりものを選ぶ元気がなくて最近まで引っ張っていたのだった。ようやく役者が揃って、いくらか日常に張りがでたように思う。 相変わらず仕事では自分の悪癖と向き合って四苦八苦しつつ、たまに個性という名の飛び道具でぽーんと褒められたりして浮き沈みの激しい日々だが、帰ってくるなり力尽きるターンを抜けたので、器にも気を配れるようになったのである。 余白が生まれたのだ。やったあ。この余白、どう過ごそうかなあ。 とかなんとか、「ていねいな暮らし」みたいなことを口走っているものの、いま半裸でこれを書いている。 なんだここ数日の暑さ。ていうか湿度。やっと人間らしくなれたと思ったら、この暑さのせいで今度は社会性を失いそうである。 はやくにんげんになりたーい。