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家の守り

 先日のむらくもやまの朝会は牛乳を飲み比べて、オクラホマミキサーロボが巡回するココスでのおしゃべり、楽しかったですね。 またやりましょう。 ヤモリを飼い始めて10年目になる。 初めて飼ったヤモリは「みよしさん」というニホンヤモリで、今も我が家で存命である。 お迎えしたときにはすでに産卵経験のある成体の雌だったから、ニホンヤモリの寿命で言えばもうかなりおばあちゃんなのだが、気が強く食欲があり元気で何よりだ。 他にも、 ・ペットヤモリの代表格レオパことヒョウモントカゲモドキ(レオパードゲッコー) ・鳴き声がトッケイトッケイと聞こえるトッケイヤモリ ・手のひらサイズなのに恐竜みたいにかっこいい姿のヘルメットゲッコー ・黒い体に赤い瞳、ポケモンで言えばブラッキーカラーのハイナントカケモドキ がいる。 保温性の高いヤモリ棚に個体ごとに水槽を並べて、それぞれの生息環境を管理している。 爬虫類の中でもいっとうヤモリが好きなのだ。 ヤモリには壁に張り付く樹上生と、地面に暮らす地表性がいて、 壁チョロと呼ばれる、草群さんややまおり亭さんの家の近くにも住んでいるニホンヤモリのあのシンプルなシルエットが私にとっての至高だ。 トッケイヤモリはニホンヤモリを何倍にも大きくした形で、水色の肌にオレンジの水玉、金色の目というオモチャみたいに派手なカラーリング、こっちがヤクザ映画を見ていようが構わず鳴き始めるアラーム音みたいなよく通る声がいい。7回連続した鳴き声を聞くと幸せになれるという東南アジアの言い伝えがあるが、季節によっては10回以上連続を1日に何回も鳴くので私にはかなり幸せがあふれていることになる。 ヒョウモントカゲモドキは、ペットとして普及しているだけあって体の模様と顔立ちが千差万別。迎えるにはかなり吟味した。基準は「目がでかい美人」かどうか。繁殖を考える人はモルフと呼ばれる血統を基準にお迎えする人も多いが、私は顔で選ぶ。もう亡くなってしまった初代が少女漫画みたいに目が大きくて鼻先が丸い子で、私の未熟さえゆえ長生きさせてあげられなかった心残りもあり、ずっとその子の影を探してペットショップや販売イベントに行くたびにヤモリの顔を見てきた。今年の1月、心を決めてお迎えした子には「純子」と名付けた。任侠映画のアイドル的存在藤純子からだ。 ちなみに、ハイナントカゲモドキはちいこいベビーから...

昼からビール、からのうたた寝

七月には仕事も落ち着くとか言ったのはどこのどいつだ! とかいってまだ六月末ではあるのだが、紫陽花こそ咲いているものの雨はざざっとしか降らないしやたらと暑い日が続いている。私にとって、気温の記憶は陸上競技場の朝の空気と分かちがたく結びついていて、まだ人影もまばらな大空間に立ったときに肌を撫でるあの風はこんなに熱っぽかっただろうかと振り返る。 もう十数年前のことだ。この十数年のあいだに、夏はずいぶんせっかちになり、幅をきかせるようになった。春や秋のなんと肩身の狭そうなこと。 取引先の無茶振りにキレ散らかし、なかなか返事のこない相手に丁寧かつ圧の強い連絡を入れ続け、いまいち的はずれな後輩の提案にばさばさと赤を入れながら、 「ああ〜どっか行きたい」という欲求が募りに募った六月。 本当は旅に出られるはずだったのだが急な出費でそれどころではなくなり、自宅に縫い付けられてしまったのがいっそうきつかった。 そこへ、高円寺の書店・読夢の湯がまた即売会を開催なさるという。 ひじきさん山折亭さんが直近で出展されていて、くたびれた現代人に癒やしをもたらすまったりイベントということは聞いていたし、すぐ下のたこ焼きもずっと食べてみたいと思っていたし、なんか「外に出る」休日が必要な気がしたので勢いでポチった。 ら、お席が用意されたのである。 抽選になったと聞いていたので、これは本当にありがたかった。 そんなヨムフリ高円寺vol.8は、レジカウンターに並べられた出展スペースくじからはじまった。 出展者は一回につき8名。店主の心配りにより開会前の自己紹介から始まって、緊張した面持ちの面々も開幕早々にきてくれるお客さんと「ちょいとビールを」と立ち上がる出展者の動きでじわじわほぐされていく。今回は日記やエッセイを書く人の比率が多かったこともあり、あやしげな隣人と共存する小説(語弊)も面白く捉えていただけたようすで、私の拙い作品紹介も辛抱強く聞いていただけてありがたかった。 そう、まったり空間だから慌てる必要もないのである。世間話をしつつ、思い出したように本の話もして、興味が向けば手に取ってもらう。思い残しがないイベントだな、と思った。コミュニケーションに無理がない。出展者同士でもお客さんともいろんな話ができて面白かったな、と心から思えたのは久しぶりだ。テンション上げてガツガツいく元気はないけどなんかじっ...

ピリオドの法則

11年振りに、集団に所属して仕事をすることになった。 所属なんて大仰な書き方をしたが、正しくはやることが少し多いだけのアルバイトだ。とはいえ、ずっとフリーで仕事をしてきた身としては、社内のメーリングリストに取得したての社用アドレスが追加されたり、機材の申請をしたりなんだり……それだけで、なんだかそわそわしてしまう。新社会人になりたての頃のような心地だ。実際、ぴよぴよの新人であるわけだし。この歳になっても新人をやらせてもらえるとは。ありがたいことです。 慣れない作業に追われる中、冬から放置していたウール靴下の続きを編んでいる。 黒いあったか手袋を編むために毛糸を3玉ほど買いにゆき、ユザワヤの魔力によって10玉入りの大袋を持ち帰ったのが昨年のこと。手袋は無事、冬のうちに編み上がったが、余った玉で作り始めた靴下が大変だった。 というのも。当時の私は知らなかったのだが、靴下というのは編み物の中でも、制作に中~上級のスキルを要するチョットムズカシイ衣類であるのだそうだ。履くあてのないミニサイズの靴下を編んだことこそあれど、普段使いすることを前提に人間サイズのものを編むのは初めてで……そんな初心者がわけもわからず編み始めたものだから、それ相応の時間がかかった。最初の片足を編み上げるまでに、覚えているだけでも3回は失敗作を解いている。 難儀しつつも片足をやっつけ、もう片方を編み始め、春めいてきたことを理由に放置して暫し。梅雨が近づくにつれ気温が下降し始めたのをきっかけに、また手を付け始めた。そうして驚いた。 最初に編み上げた片足と比べ、次に編み始めた足の方が、明らかに目が整っているのだ。ありていに言えば上達を感じる。たとえば文章なんかは「ピリオドを打つたびに上達する」と言われたりするけれど、この法則は編み物にも通ずるのかもしれない。たぶん、糸を切るたびに上手くなる。 上手くなると、楽しくなってくる。このまま編み上げると、なんだか片方だけよれっとした奇妙な靴下が完成してしまいそうだけれど……糸始末を終えて水を通すころには、それもまた一興と思えるようになっているだろう。

通じないおしゃべり

 ゴールデンウイークが終わり 文学フリマ東京40が終わり ゲームマーケット2025春が終わり 5月が終わろうとしている にぎやかな祭りの中を元気に駆け抜けた記録を書きたくなりがちだが、今日は関係ない「通訳」の話でも。 私は通訳になってしまうことがある。 外国語のではない。 残念ながら外国語は一切できないので。 日本語の通訳である。 何を言っているんだ? 私もそう思う。 でも、 Mという人物とIという人物がいて 嫌い合っていない、むしろ遊び仲間としてつるむこともちょいちょいある そんな間柄なのに お互いの言っていることが理解できなくて、首を傾げるという現象が実際に起こっている。 主義思想の違いとかそういう高尚なすれ違い以前の問題である。 純粋に、何を話しかけられたのか読み取れないのだ。 私はMともIとも親しい仲であり、 それぞれと知り合った直後から Mの言葉選びもIの話したい趣旨も理解できた(と思っている) だが、MとIは10年以上親交が続いている今でも、 2人で話すと話が通じない。 MはIに何かを質問されたり話を振られると、 顔いっぱいに「???」を浮かべて、私の方を見る。 「~ということだと思いますよ」と補足説明をすると、 「ああ!」と伝わる。 I「ちょっと、ひじきさん、こいつどうにかして」 M「ごめん」 で、Mが話し始めると 今度はIが「待て、それは何が言いたいわけ」と苦笑する。 M「だから~」 I「わからん」 ひ「Mさんは、~のことを言ってるんだと思いますよ」 M「そう!」 これを通訳と呼ばずしてなんとしよう。 多分、二人とも説明しているつもりでちょっとずつ言葉が足りなくて、でもその足りなさのジャンルが違う。 そこを補う文脈が私には苦も無く見えるが、互いには大きな虫食い穴になっているのだろう。自分から遠い部分だから、ピンとこない。 なので、3人でいると間に立って、役に立っている感じがして楽しい。 職場でも、会議の中で通訳になることがある。 「●●さんの今の話は、~ということですね」「さっきの△△さんの意見とはこの点が共通ですね」と、まとめていると (はーそういうことだったのか)という反応が伝わってくるのだ。 みんな日本語しゃべってるのにね。 「いまのでよくわかったね、俺全然わからなかったよ」と言われると、 ああ、通訳してしまったと思う。 ある程度の時間...

わからないことの手触り

暦どおりの四連休は、ひたすらのんびりして過ごした。 まともな外出といえば、朝イチで用事をすませたついでに渋谷で遅い朝食を食べてそのまま散歩で遠回り、代々木公園で薔薇や寄せ植えの庭をぶらーんと眺めて帰った一回きり。あとはこまごまと家事をしたりイベント前の宣伝をしたり、ただ食べて飲んで寝て起きて、休める限り休んだ。 お休みに予定がないと不安な方からしたら逆に寝込みそうな過ごし方だが、家にいると決めたら徹底的に家にいたいので大変幸せであった。出かける日は予定をまとめてフルで出かける。用事はひとかたまりにして、まとまった引きこもりタイムを確保したい。 ずっと誰かにそばにいられると死んじゃうのである。うさぎさんの逆。 連休最終日、雨は降るわ気温は下がるわで、何がゴールデンださむいさむいと布団にくるまって読書しかしないことに決めた。 わあ贅沢。 まるで無音というのもな……と考えプレイリストを眺めるがいつもと同じも面白くない。作業用BGMといえば(作業などしないが)YouTubeか、と思い至りそれっぽいのを探すがどいつもこいつも眠くなるようなリラックス音楽ばかりで昼寝する気しかしない。 ちょっと路線を変えて、映画とかテーマパーク系にしてみたらちょうどよかった。べつに落ち着かなくていいのよ、ちょっと浮足立つくらいで。 というわけで、今日はディズニーリゾートのパーク内BGM縛りにしました。 バタバタしてるときは悩むことすら厭うてしまうので時間があるときはいろいろ試すよいチャンス。 飛浩隆『零號琴』。 本日読了した小説のタイトルである。 読み終わるのにずいぶん時間がかかった。年単位でかかった。中断しては間があいて、思い出しながら続きを読むからまた時間がかかる。なにしろ辞書みたいなハードカバーなのだ。合間に読もうと持ち歩くにはでかすぎる。 それでも私は紙の、ハードカバーがよかった。カバーのインパクトもさることながら、本体の装丁がめちゃくちゃ渋くてかっこいいのだ。あと長い小説は特に、ざざっと戻っておさらいするのに紙のほうが都合がよい。辞書もいまだに、紙で引くほうが早いタイプです。 話がそれた。 SF作家が描きだす、ものすごくスケールが大きくて好き放題やる話。 都市レベルのでっかい集合鐘を演奏するぞ、資本も職人もかき集める大プロジェクトは表も裏も事情に事欠かないが、これはそもそも一体誰が何の...

そういや家には巻き簾があった

鶯がさえずりの練習を開始し、近所のお寺の掲示板に「ボタンが咲きました」との報が張り出されたと思ったら、公園で蝉が鳴いている。どうなっているんだ……。 先の週末はむらくもやまも一度お邪魔した、高円寺の「読夢の湯」さんが主催する「ヨムフリ高円寺vol.5」という同人誌&ZINE等の即売会に出店した。楽しくまったりと、充実した会であった。……のだけれど、少し前のことではあるし、そのへんの詳細は割愛しようと思う。 昨日は吉祥寺の駅前にある、某海鮮系の居酒屋で夕食を摂った。出店100店舗達成のキャンペーンでレモンサワーが1杯100円だというので、これ幸いとお相伴に預からせて頂いたというわけだ。 暑い日が続くとはいえ、暦の上では春。冷たい炭酸のお酒ばかりをそう飲み続けてはいられないだろうという予想に反し、するすると4杯ほどを頂いてしまった。 ここで食べた細巻きがちょっと変わっていて、たくあんとチャンジャを和えたものを芯にしていたのだ。しょっぱくもほんのり辛いたくあんが、薄甘いレモンサワーによく合う。 さくっと1時間ほどで店を出たのち、近くの鮮魚売り場を冷やかしたら、かんぴょう巻きが売っていた。先の店で、舌が巻物づいている。半額であったこともあり、それを買って二次会のつまみとすることにした。 しかし、かんぴょう巻き。最後に食べたのはいつのことだろう。太巻きの中に具材のひとつとして入っているのを、茫と口に入れた記憶はあるのだけれど、味となると……というか、かんぴょう巻きって醤油をつけるものなのかしら? 薬味は? わさび? 手元の端末で調べてみると、かんぴょう巻きというのは江戸前寿司のベーシックなネタであり、海苔巻きといえばかんぴょう巻きのことを指すのが通例であるのだとか。とはいえソースがWikipediaであるし、同記事には「かんぴょう巻きをこれこのように提供するのは野暮だとする説があるらしいが、その理由や真偽は不明である」という旨の文章が頻出しており、これまたいささか茫としている。 つまり、お好みでよろしいということでしょう。ということで、醤油もわさびもつけて食べた。素朴ながらあとをひく甘味と旨味が、そば焼酎に合う。 そんなこんなで焼酎の水割りとともに細巻きをたっぷりと食べ、家にあと3枚だけ残っていたホタルイカの素干し(ひじきさんから富山のお土産として頂いたアレだ)を大事にかじり...

吸い込み士への招待状

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 4月5日のむらくもやまの集まり、楽しゅうございましたね。 この3人でなければ入らなかった店、聞けなかった話、高円寺はまだまだ探検のしがいがありそうです。 お仕事でもご活躍のご様子、健康にだけは気を付けて、次会う時まで生き延びましょう。 この人なら~してくれそう と思い浮かぶ人がいて、連絡する、お誘いする ということが、私にもあるが、今回は私が誘われる側だった。 何かというと、 「お久しぶりです 急なお話なんですけど お米好きですか? おむすびお好きですか?」 というDMがボードゲームで知り合ったNさんから届いた。 N「おむすびひたすら食べる会をやろうという話が出ていまして」 本来別のLINEグループで10人くらいで話が決まっていたところを N「ひじきさん、もりもり食べそう…と思い、ついつい連絡してしまいました…」 追加参戦にお誘いいただいたようだ。 ひじき「行きます」 思い浮かべていただいたのが嬉しい。それは期待に応えたい。 具材は各自1,000円分持ち寄り、1人あたま1合の米を炊くので自由に作ってよいとのこと。 こういうのは具材がバッティングすることもあるからな~どうしよっかな~ と、ニッチなところを突きたい性分なので、成城石井やカルディを見て回った結果、 富山土産の黒とろろでこんぶおにぎりを作ろうと思い立つ。 富山のコンビニ各社では普通に売っているメジャーなおにぎりなのに、関東では食べたことがなくて、富山で食べて好きになったやつ。皆に布教しよう。 そして、それだとただの自分用のお土産に買ったやつが使えるので予算にまだ余裕があるから、 インスタントみそ汁を持っていくことにした。 こういう持ち寄り会の時にね、 メインじゃなくて 汁物とか果物を持っていくとそういうの欲しかったわ!と「神」扱いされるのを、過去の経験から知っているのだ私は。 おむすび会は初めてだけど、外れなかったようだ。 仕事を早々と終えて、わくわくと会場に着き、 14合の米が炊けているのを確認する。 うん?14合? 10人で10合じゃなかったのか。 ま、いいや、作りましょう。 ご飯を詰めて振ると1度に6個のおにぎりが作れるおにぎりメーカーを使うと1個80~90gのおにぎりができる。 はじめはそれで人数分作っていったのだが、 みんなの持ち寄りおかずを全部反映するとなると 米が足りない ということ...