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ピリオドの法則

11年振りに、集団に所属して仕事をすることになった。 所属なんて大仰な書き方をしたが、正しくはやることが少し多いだけのアルバイトだ。とはいえ、ずっとフリーで仕事をしてきた身としては、社内のメーリングリストに取得したての社用アドレスが追加されたり、機材の申請をしたりなんだり……それだけで、なんだかそわそわしてしまう。新社会人になりたての頃のような心地だ。実際、ぴよぴよの新人であるわけだし。この歳になっても新人をやらせてもらえるとは。ありがたいことです。 慣れない作業に追われる中、冬から放置していたウール靴下の続きを編んでいる。 黒いあったか手袋を編むために毛糸を3玉ほど買いにゆき、ユザワヤの魔力によって10玉入りの大袋を持ち帰ったのが昨年のこと。手袋は無事、冬のうちに編み上がったが、余った玉で作り始めた靴下が大変だった。 というのも。当時の私は知らなかったのだが、靴下というのは編み物の中でも、制作に中~上級のスキルを要するチョットムズカシイ衣類であるのだそうだ。履くあてのないミニサイズの靴下を編んだことこそあれど、普段使いすることを前提に人間サイズのものを編むのは初めてで……そんな初心者がわけもわからず編み始めたものだから、それ相応の時間がかかった。最初の片足を編み上げるまでに、覚えているだけでも3回は失敗作を解いている。 難儀しつつも片足をやっつけ、もう片方を編み始め、春めいてきたことを理由に放置して暫し。梅雨が近づくにつれ気温が下降し始めたのをきっかけに、また手を付け始めた。そうして驚いた。 最初に編み上げた片足と比べ、次に編み始めた足の方が、明らかに目が整っているのだ。ありていに言えば上達を感じる。たとえば文章なんかは「ピリオドを打つたびに上達する」と言われたりするけれど、この法則は編み物にも通ずるのかもしれない。たぶん、糸を切るたびに上手くなる。 上手くなると、楽しくなってくる。このまま編み上げると、なんだか片方だけよれっとした奇妙な靴下が完成してしまいそうだけれど……糸始末を終えて水を通すころには、それもまた一興と思えるようになっているだろう。

通じないおしゃべり

 ゴールデンウイークが終わり 文学フリマ東京40が終わり ゲームマーケット2025春が終わり 5月が終わろうとしている にぎやかな祭りの中を元気に駆け抜けた記録を書きたくなりがちだが、今日は関係ない「通訳」の話でも。 私は通訳になってしまうことがある。 外国語のではない。 残念ながら外国語は一切できないので。 日本語の通訳である。 何を言っているんだ? 私もそう思う。 でも、 Mという人物とIという人物がいて 嫌い合っていない、むしろ遊び仲間としてつるむこともちょいちょいある そんな間柄なのに お互いの言っていることが理解できなくて、首を傾げるという現象が実際に起こっている。 主義思想の違いとかそういう高尚なすれ違い以前の問題である。 純粋に、何を話しかけられたのか読み取れないのだ。 私はMともIとも親しい仲であり、 それぞれと知り合った直後から Mの言葉選びもIの話したい趣旨も理解できた(と思っている) だが、MとIは10年以上親交が続いている今でも、 2人で話すと話が通じない。 MはIに何かを質問されたり話を振られると、 顔いっぱいに「???」を浮かべて、私の方を見る。 「~ということだと思いますよ」と補足説明をすると、 「ああ!」と伝わる。 I「ちょっと、ひじきさん、こいつどうにかして」 M「ごめん」 で、Mが話し始めると 今度はIが「待て、それは何が言いたいわけ」と苦笑する。 M「だから~」 I「わからん」 ひ「Mさんは、~のことを言ってるんだと思いますよ」 M「そう!」 これを通訳と呼ばずしてなんとしよう。 多分、二人とも説明しているつもりでちょっとずつ言葉が足りなくて、でもその足りなさのジャンルが違う。 そこを補う文脈が私には苦も無く見えるが、互いには大きな虫食い穴になっているのだろう。自分から遠い部分だから、ピンとこない。 なので、3人でいると間に立って、役に立っている感じがして楽しい。 職場でも、会議の中で通訳になることがある。 「●●さんの今の話は、~ということですね」「さっきの△△さんの意見とはこの点が共通ですね」と、まとめていると (はーそういうことだったのか)という反応が伝わってくるのだ。 みんな日本語しゃべってるのにね。 「いまのでよくわかったね、俺全然わからなかったよ」と言われると、 ああ、通訳してしまったと思う。 ある程度の時間...

わからないことの手触り

暦どおりの四連休は、ひたすらのんびりして過ごした。 まともな外出といえば、朝イチで用事をすませたついでに渋谷で遅い朝食を食べてそのまま散歩で遠回り、代々木公園で薔薇や寄せ植えの庭をぶらーんと眺めて帰った一回きり。あとはこまごまと家事をしたりイベント前の宣伝をしたり、ただ食べて飲んで寝て起きて、休める限り休んだ。 お休みに予定がないと不安な方からしたら逆に寝込みそうな過ごし方だが、家にいると決めたら徹底的に家にいたいので大変幸せであった。出かける日は予定をまとめてフルで出かける。用事はひとかたまりにして、まとまった引きこもりタイムを確保したい。 ずっと誰かにそばにいられると死んじゃうのである。うさぎさんの逆。 連休最終日、雨は降るわ気温は下がるわで、何がゴールデンださむいさむいと布団にくるまって読書しかしないことに決めた。 わあ贅沢。 まるで無音というのもな……と考えプレイリストを眺めるがいつもと同じも面白くない。作業用BGMといえば(作業などしないが)YouTubeか、と思い至りそれっぽいのを探すがどいつもこいつも眠くなるようなリラックス音楽ばかりで昼寝する気しかしない。 ちょっと路線を変えて、映画とかテーマパーク系にしてみたらちょうどよかった。べつに落ち着かなくていいのよ、ちょっと浮足立つくらいで。 というわけで、今日はディズニーリゾートのパーク内BGM縛りにしました。 バタバタしてるときは悩むことすら厭うてしまうので時間があるときはいろいろ試すよいチャンス。 飛浩隆『零號琴』。 本日読了した小説のタイトルである。 読み終わるのにずいぶん時間がかかった。年単位でかかった。中断しては間があいて、思い出しながら続きを読むからまた時間がかかる。なにしろ辞書みたいなハードカバーなのだ。合間に読もうと持ち歩くにはでかすぎる。 それでも私は紙の、ハードカバーがよかった。カバーのインパクトもさることながら、本体の装丁がめちゃくちゃ渋くてかっこいいのだ。あと長い小説は特に、ざざっと戻っておさらいするのに紙のほうが都合がよい。辞書もいまだに、紙で引くほうが早いタイプです。 話がそれた。 SF作家が描きだす、ものすごくスケールが大きくて好き放題やる話。 都市レベルのでっかい集合鐘を演奏するぞ、資本も職人もかき集める大プロジェクトは表も裏も事情に事欠かないが、これはそもそも一体誰が何の...

そういや家には巻き簾があった

鶯がさえずりの練習を開始し、近所のお寺の掲示板に「ボタンが咲きました」との報が張り出されたと思ったら、公園で蝉が鳴いている。どうなっているんだ……。 先の週末はむらくもやまも一度お邪魔した、高円寺の「読夢の湯」さんが主催する「ヨムフリ高円寺vol.5」という同人誌&ZINE等の即売会に出店した。楽しくまったりと、充実した会であった。……のだけれど、少し前のことではあるし、そのへんの詳細は割愛しようと思う。 昨日は吉祥寺の駅前にある、某海鮮系の居酒屋で夕食を摂った。出店100店舗達成のキャンペーンでレモンサワーが1杯100円だというので、これ幸いとお相伴に預からせて頂いたというわけだ。 暑い日が続くとはいえ、暦の上では春。冷たい炭酸のお酒ばかりをそう飲み続けてはいられないだろうという予想に反し、するすると4杯ほどを頂いてしまった。 ここで食べた細巻きがちょっと変わっていて、たくあんとチャンジャを和えたものを芯にしていたのだ。しょっぱくもほんのり辛いたくあんが、薄甘いレモンサワーによく合う。 さくっと1時間ほどで店を出たのち、近くの鮮魚売り場を冷やかしたら、かんぴょう巻きが売っていた。先の店で、舌が巻物づいている。半額であったこともあり、それを買って二次会のつまみとすることにした。 しかし、かんぴょう巻き。最後に食べたのはいつのことだろう。太巻きの中に具材のひとつとして入っているのを、茫と口に入れた記憶はあるのだけれど、味となると……というか、かんぴょう巻きって醤油をつけるものなのかしら? 薬味は? わさび? 手元の端末で調べてみると、かんぴょう巻きというのは江戸前寿司のベーシックなネタであり、海苔巻きといえばかんぴょう巻きのことを指すのが通例であるのだとか。とはいえソースがWikipediaであるし、同記事には「かんぴょう巻きをこれこのように提供するのは野暮だとする説があるらしいが、その理由や真偽は不明である」という旨の文章が頻出しており、これまたいささか茫としている。 つまり、お好みでよろしいということでしょう。ということで、醤油もわさびもつけて食べた。素朴ながらあとをひく甘味と旨味が、そば焼酎に合う。 そんなこんなで焼酎の水割りとともに細巻きをたっぷりと食べ、家にあと3枚だけ残っていたホタルイカの素干し(ひじきさんから富山のお土産として頂いたアレだ)を大事にかじり...

吸い込み士への招待状

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 4月5日のむらくもやまの集まり、楽しゅうございましたね。 この3人でなければ入らなかった店、聞けなかった話、高円寺はまだまだ探検のしがいがありそうです。 お仕事でもご活躍のご様子、健康にだけは気を付けて、次会う時まで生き延びましょう。 この人なら~してくれそう と思い浮かぶ人がいて、連絡する、お誘いする ということが、私にもあるが、今回は私が誘われる側だった。 何かというと、 「お久しぶりです 急なお話なんですけど お米好きですか? おむすびお好きですか?」 というDMがボードゲームで知り合ったNさんから届いた。 N「おむすびひたすら食べる会をやろうという話が出ていまして」 本来別のLINEグループで10人くらいで話が決まっていたところを N「ひじきさん、もりもり食べそう…と思い、ついつい連絡してしまいました…」 追加参戦にお誘いいただいたようだ。 ひじき「行きます」 思い浮かべていただいたのが嬉しい。それは期待に応えたい。 具材は各自1,000円分持ち寄り、1人あたま1合の米を炊くので自由に作ってよいとのこと。 こういうのは具材がバッティングすることもあるからな~どうしよっかな~ と、ニッチなところを突きたい性分なので、成城石井やカルディを見て回った結果、 富山土産の黒とろろでこんぶおにぎりを作ろうと思い立つ。 富山のコンビニ各社では普通に売っているメジャーなおにぎりなのに、関東では食べたことがなくて、富山で食べて好きになったやつ。皆に布教しよう。 そして、それだとただの自分用のお土産に買ったやつが使えるので予算にまだ余裕があるから、 インスタントみそ汁を持っていくことにした。 こういう持ち寄り会の時にね、 メインじゃなくて 汁物とか果物を持っていくとそういうの欲しかったわ!と「神」扱いされるのを、過去の経験から知っているのだ私は。 おむすび会は初めてだけど、外れなかったようだ。 仕事を早々と終えて、わくわくと会場に着き、 14合の米が炊けているのを確認する。 うん?14合? 10人で10合じゃなかったのか。 ま、いいや、作りましょう。 ご飯を詰めて振ると1度に6個のおにぎりが作れるおにぎりメーカーを使うと1個80~90gのおにぎりができる。 はじめはそれで人数分作っていったのだが、 みんなの持ち寄りおかずを全部反映するとなると 米が足りない ということ...

こうかはばつぐんだ

いやーーーー 弊社は皇居のお堀端、桜は満開だが会社の窓から見下ろして満足するしかないくらいチーム内で人の倍仕事をこなしているきがいたします、草群です。 ごきげんよう。 この仕事をしていたらいつかは好きな作品に直接関わることもあろうと妄想を重ねること2年弱、まんまと舞い込んでくるどころかその後どんどんメディア展開の幅が広がり、なんかえらいことになっている&これまでお付き合いのある取引先の仕事もでかいのがきて、チームのなかでも私のスケジュールだけめちゃくちゃなことになっている。 えーーー。 どう考えても私が一番案件を抱えているので「たすけて!」って絶叫したらスッと手伝ってくれる人はいるし、私も身動きとれるうちにアラートを上げられる分別はあるのでいまのところ事故らずにすんでいるのだが、まあ綱渡りもいいとこで、こんな状態で5月の文学フリマに新刊を出せるのかどうかは甚だ疑問である。 出すけど。 放置&後回しグセで大炎上した後輩とか、最低限の確認を回すことさえ怠るヤツとか、仕事とはなんぞやというところから叩き込まねばどうにもならない同僚にバチクソキレちらかしつつ(私だって穏やかに仕事したいのだが、他に誰も怒り役がいないのだ)、きっとよりよい明日が来ると信じてやっていくほかない、とすぐ上の上司&同格の同僚と溜め息をついている。 あとさきとか、相手のことを考えて仕事を渡せる人って貴重なのね。 勉強になりました。 そんなこんなで、ただでさえ自分の抱えてる仕事がどれもこれも期日に追われている&後輩の炎上案件のリカバリまでやってるもんで、エンドレスで段取りと優先順位を考え続ける日々、なんなら移動の時間は予習と振り返りの時間で、片時も気の休まる暇がない。3月上旬に「これはまずい」と都心の天然温泉スパ施設利用券を確保し、どこかで合間を探って休養をとろうと目論んでいたものの「いま休むと危険」な日々が続いて走り続けるほかなく、購入から一ヶ月の期限は刻々と迫っていく。 全部最短で打ち返してるのになんで仕事が増えるのか。 まあそれは正直当チームの炎上コンビ(ベージュ&桃太郎)のなせるわざなのだが、いい加減こちらも張り詰めすぎて、なんなら一昨日の朝は本当に起きるのがしんどかったので、もう無理だという結論に達して半休をねじこんだ。 いざお風呂。ざぶーんの国。 弊社、徒歩圏内に都心型総合エンタテインメント...

じゃがいもの ポタージュ吹きつ うぶの顔

ひじきさん主催の、「じゃがいも俳句を作ろう」の会に参加してまいりました。 じゃがいもの品種と、5・7の言葉が書かれた3種類のカードを出し合い、俳句を作るというワークショップ。 じゃがいも俳句。かなり前のことだが、その原型となったであろう遊びを、ひじきさんとそのご友人が招文堂に持ってきてくれたことがある。あのじゃがいも俳句が、満を持してワークショップに! しかも開催場所は、高円寺・読夢の湯という本屋さん。ひじきさんの日記「 銭湯に通うように 」にも登場していた、畳敷きの店内に靴を脱いで上がるという、あの面白そうなお店だ。形は違えど本屋を主催している身としては、面白そうな本屋さんなんて気にならずにはいられない。お誘い頂くや否や「参加したいです」と手を挙げていた。 会のスタートは、夜20時。30分ほど前から店の中には入れると聞き、遠慮を忘れて19:30を少し回ったあたりで店の戸口から中を覗き込んだ。 まず目につくのは、まだ青々とした美しい畳。突き当りの壁、天井近くに掲げられた大きな液晶画面。その右隣には首を振りながら我々を見下ろす、羽のあおい扇風機。 その真ん中で私を出迎えてくれたひじきさんは、なるほど、この店によく馴染んでいた。この、建て付けはちょっとマニアックなんだけど間口が広くてほっとするかんじ、ひじきさんとこのお店は、どこか似ているような気がする。 入って左手、少しだけ振り返ったところに番台めいたカウンターがあり、そこにいらした店主さんにご挨拶。こういう会に参加する折、いつも忘れてしまう名刺を、今日はちゃんと持ってきたのだ。 畳に腰を下ろし、ゆるゆると会話をしているうちにメンバーが集まってくる。ここにいる人みな、ひじきさんのご友人なのだから面白い。ざぶとんを譲り合い、めいめい名札を書き、ボールペンを回して……そんなこんなで、会が始まる頃にはなんとなく緊張も解けていた。 思い返せば、こんなにも早く緊張が解けたのは、畳敷きの部屋でひとつの卓を囲むという状況によるものが大きいのかもしれない。見知らぬ人の前で靴を脱いだ心もとなさを携え、ぺたぺたと歩く……どこかとぼけたこの空間で、よそ行きの顔をし続けられる人はそう多くはないのかも。 じゃがいも俳句の細かいところは、今後、実際にワークショップに参加する方々のためにも割愛するとして―― 私が一番面白いなと感じたのは、すでに用意...