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12月, 2023の投稿を表示しています

納めました

無事かどうかはさておき、仕事を納めて実家に帰ってきている。 東京在住、実家は埼玉西部なのでいつでも帰れるといえば帰れるのだが、いかにも年末年始らしく過ごすのもいいかと思って帰ることにした。 自宅にいるとかえってダラダラしてしまうし。案の定、家を出なければと思っていたからいつもより掃除が捗った。大掃除らしい大掃除はしていない。 そしていま、韓国テレビ局のドラマアワードの授賞式を観て、その流れで韓国ドラマを観ている。多趣味な母は大変忙しい。視聴すべきドラマはたくさんあるし、さかのぼって過去の作品まで観はじめるので時間が足りない。 血は争えないなあと思う。 それにしても、韓国の俳優はみんな肌がキレイでびっくりする。おじさんのお肌までぴかぴかしていて色つやがいい。どうやったらそんなしっとりした生ハムみたいになれるんだ。例えが悪いな。でも私は生ハムってとても美しいと思う。 だからというわけでもないけれど、実は昨日、献血に出かけた際にスキンケアアイテムをいくつか買い込んできた。子供の頃から、冬になると肌が乾燥して粉を吹くようなタイプなので、ここらでいろいろ試してみようと思ったのだ。 手っ取り早くロフトに行ってみたのだが、面白いねえ、パッケージデザインを見て歩くだけでも楽しい。スキンケアはもちろん、アイシャドウとかチークみたいなポイントメイク、リップのケースもいろいろあるし、リップかとおもったら香水だったりして、予習ゼロで飛び込んだものだからわけがわからなくなってしまった。 そしてやっぱり、韓国コスメもいろいろある。比較的手頃で効果が高いと聞いているし、韓国で活躍する俳優の容貌を日々見せられている(母に)と説得力がある。特に、白くつるんとした陶器のような肌、透明感のある肌の印象が強い。あれは日々のケアと努力の賜物なわけでしょう。これはえらいことですよ。 私、そばかすがちなので、ほっとくと顔色悪く見えるんですよね……というわけでコンシーラーも買い求めた。これも、直感でよさそうなの手に取ったら韓国のものだった。すごいなあ。 そう、献血。 全血400で行く気満々だったのだが、わずかに体重が足りずに200に格下げとなった。 悔しい……しっかり食べて鍛えておくべきだった。おそらく、ばたばたして食事を食べそこねたり、オフィスワーク中心になって筋力が落ちたり、いろいろな要因が絡んで体重が落ちた

うかうかしてたら

あっという間に今年が終わってしまいそうだ。むらくもやま忘年会で過ごした楽しい時間も、幸運にも口にできた天蛙の味わいも、つい昨日のことのように思い出せるというのに……。 そんな残り少ない年末のお休みを使って、お芝居を観てきた。今年最後の、電車に乗ってのおでかけである。 観たのはこちら。 花組芝居『泉鏡花の夜叉ケ池』 https://hanagumi.ne.jp/reki/0/2309151200.html 花組芝居は〈ネオかぶき〉をコンセプトに掲げる劇団で、和洋どんな演目も、どこか目新しいかぶき仕立てにして上演してくれる。 しかも今回は、この劇団が普段から使っている稽古場に舞台を設えての公演だというのだ。年末らしい特別感がうれしい。 台詞は原文ママだと聞いていたので、事前に青空文庫で軽く予習をしてから向かった。予習は正解だったが、尺に合わせて調整されているエピソードなどもあったので、ぶっつけ本番で観に行ってもそれはそれで楽しめるように思う。 芝居が始まれば、風のように過ぎ去った約二時間。猥雑さと格調高さが混在し不思議と煌びやかで、見終わったあと妙に目が爛々とするお芝居であった。 千秋楽は明日。当日券も出るとかでないとか? いずれにせよ、きっと大入りとなるであろう。 それにしても、戯曲の言葉というのは面白い。小説やエッセイとはまた違った、耳で聞いた時の心地よさに大きく舵を切った言葉たちからしか出てこない、独特の滋味のようなものがある。私自身は小説やエッセイを脳内で音読しながら読むタイプなので、小説やエッセイの言葉にだって、人が口に出したときの心地よさを求めてしまいがちだけれど……やはり本当に口に出して誰かに聞かせることを前提とした言葉や、それらで構成された作品は、小説やエッセイとは少し異なるリズムを有している気がする。 しかし今回の原作者である泉鏡花、この人は戯曲だけではなく小説も書くのだ。そう考えると、私も「やはり小説やエッセイと戯曲はノリが違って面白いなあ」などという場所で思考を止めている場合ではない。憚りながらも同じく言葉を使って作品をつくっている者として、きゅっと帯が引き締まるような心地になった。 今年は暦の関係で冬の連休が短い。とはいえ、年末のお休みの後には年始のお休みが控えている。2024年は今まで以上にたくさんのおはなしを書いてゆけるようにとの期待と願いで

でっきるっかな

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 はい、むらくもやまの写真担当ひじきです。 今日の日記に入る前にむらくもやま忘年会のお料理をご査収ください。草群さんの日記と合わせてどうぞ。 宴の話を私もしたいくらい楽しかったがぐっとこらえる。やまおり亭さんによる喋り方の違いの話で繰り出されたラップ、すごかったのでまた聞きたい。 さて、 ユザワヤとオカダヤに行った。 どちらも大型の手芸用品店であり、年単位でめったに近づかぬ場所である。 それでも行ってみれば、最近はこんな北欧っぽいプリントの布があるのか、あ、これは私が小学校低学年の頃からあった柄ではないかと壁を彩る様々な質感色合いのロールを眺めるだけで楽しいし、推し活としてぬいぐるみ作りのキットが充実しているのかと時代の流れも感じる。普段お目にかからぬ専門的な作業に特化した道具もおもしろい。 馴染みのない領域になぜ立ち入るのか。 私はここに材料を集めに来た。 作りたいものがあるのである。 本来器用な質ではないので既製品があるなら金の力で解決するが……ないのだ。 欲しいと思い浮かべることができるのに売っていないのだ。 それでも欲しかったら作ってみるしかない。 手芸経験は皆無というほどではなく、裁縫箱も家にはあるが、そこまでの興味関心がなく反復学習によるスキル習得が足りていない。よって出来上がるものはたいてい不出来である。学校で体験したミシンは下糸が出せなくてすぐ絡まって止まって人にやってもらうタイプ。 ある鬱々としていた時期に現実逃避として鍵編み針で編むあみぐるみ制作に異常な執着を見せていたことはあるが、縫い物の作品で手元に残っているのはおにぎりを入れていく巾着袋くらいだろうか。 そこを乗り越えて思いつく材料を揃えるくらい欲しているものがあるわけだが、具体的に何を作りたいのかは完成するまで伏せておくことにする。 何しろうまくいく保証がない。 途中で挫折する可能性が大いにある。挫折したら報告は控えさせていただく(とか言いながら貧乏性なのでネタにしそう) この布でいいのか。もっと高い布じゃないとだめなのか。 端がほつれたり丸まって実際の使用感が悪くなるのではないか、でもその場合どうしたらいいのか。 イメージとかけ離れたみすぼらしいボロ切れになったらどうしよう。 ぶつぶつ悩みながら、大きな布を台の上でカットしてもらった。 鮮やかなハサミさばきであった。 チャコペンやアイロン

ごちそうのいいわけ

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年末だ。 会食の予定が続く。とはいえ近頃の私の交友関係はずいぶんと絞られて、職場か実家か創作仲間、というかもっぱらむらくもやまメンバー。みんな、私のペース、行動パターンを面倒がらずに付き合ってくれる人たちだ。大変に甘えさせてもらっている。いかんいかんと思いつつ、つい……。いつもありがとうございます。 さて。昨日はむらくもやま忘年会であった。 とても、とても楽しみにしていた。メンバーは最高だし、お店も最高だし。 たくさんおしゃべりしたいし存分に飲み食いするつもりでいたのだが、しかし例によって平日の仕事が思ったより詰まってしまい、さらに月イチもっともしんどい日に当たってしまったので、家を出るのにかなりのパワーを必要とした。 まあ、そんなのは楽しい時間とおいしいごはんの前に吹っ飛びましたね! お魚と日本酒の天国「魚や藤海」は秋葉原駅からちょっと歩いて電気街の喧騒が落ち着いたあたりにある、大変楽しく美味しいお店だ。詳しくは以前ひじきさんが天蛙のときに書いてくれているから割愛するが、今回も最高であった。 冬といえば鍋、ということで「どうする? 鍋頼む?」というところからメニューの相談ははじまる。実は私、鍋をつつくのがあまり得意でない。煮え具合をみつつみんなで取り分けるうちに一体どれくらい食べたかわからなくなるのと、うっかりすると食べどきを通り越してしまったりして、なんだかペースが乱されるから苦手なんだと思う。食べ物としての鍋料理はもちろん好きなんだけど、あれかな、食卓に出すときには完成しててほしいのかもな。同様の理由で、実は焼肉もあまり得意ではない。でもお好み焼きはそれほど苦手に感じないな。焦がすことはそうそうないし、分け合いやすいし。うむ、なんとなく自分の面倒くさい部分がわかってきたぞ。 というわけで、今回はアラカルトにしてもらった。寒鰤の生ハムを食べ、刺盛りを食べ、ベーコンたっぷりのポテサラを食べ、もちろんポテトフライも食べ、勧められるままにあん肝に白子、北寄貝はバター焼き。身を食べたあと、立派な貝殻のなかで貝のお出汁とバターが合わさって奇跡の液体と化していたため、ポテトフライをリピートして浸して食べた。 今日も元気な女将が出してくれた噂のお酒「天蛙」は瓶のなかの酵母まで抜群の活きのよさで、あまりに泡が上がってくるものだから開栓にしばし時間を要した。その間に私とやまおりさ

ボヤンコ

昨夜やむなくてっぺんを超えて、今日の午前3時。とうとう今年最後の仕事の〆切をなんとかした。 年明けにもぽつぽつと〆切があるので以降もゆるやかに作業は続いてゆくし、始点が私にある類の仕事は納めるもなにもないのだが、ともあれ外部と連携を取って進めねばならぬ年内のアレコレはこれにておしまい。事実上の仕事納めである。 早朝にここまで書き、耐えきれず眠り、もそもそと起き出して今、日記の続きを書いている。 ここ数日は仕事ばかりしていたので、今週頭の話をしようと思う。 先日、とあるカフェ&ギャラリーさんから原画展のお知らせ葉書を頂戴した。店の名には覚えがあった。数年前に画家・スズキコージさんの原画展があるというので伺い、小さな原画をひとつ購入した店だ。その折、来訪者リストに名と住所を記したことをぼんやりと覚えている。 そのギャラリーで、今年もスズキコージさんの原画展が開催されるのだという。 私がスズキコージさんを好きになったきっかけは、幼稚園児の頃に読んだ『大千世界のなかまたち』という絵本だ。 『大千世界のなかまたち』はこの世界に暮らす、ふつうの図鑑には載っていないような“なかまたち”をイラストと共に解説する絵本である。私はこの中で紹介されている〈ボヤンコ〉という生物が大好きだった。 幼稚園児というのはことあるごと、大人に将来の夢について尋ねられるものだが、あの頃の私の将来の夢はこのボヤンコであった。それを大人たちに直接伝えると差し障りがあることは子供ながらに理解していたので、無難に「本屋さん」とか「リボン屋さん」とか答えていた記憶もある。 さて、ボヤンコとは何か。 ボヤンコはいつも、暖かい地域で暮らしている。背中の食料壺にしっぽをつっこんで好きなときに食べ、あくびなどしてごろごろし、今いる場所が暖かくなくなったら、ちょうどよい気候をもとめて動き出す。そういう生物だ。(どんな見た目をしているかは、ぜひ絵本を入手して確認してほしい) 私は幼い頃からボヤンコになることを夢見ていた。そのはずなのだが、なんだかここ数年やけに勤勉である。昨日、というか今日だって午前3時まで働いてしまった。 確かに、かつて幼稚園児であった私は大人になるにつれ賢くなり、いかに成長したとてボヤンコになるのはやや難しそうだと理解した。ゆえに今は考えを改め、ボヤンコを来世の夢と定めている。 考えを改めはしたけれど、

波乗り帰省

 実家のコタツの中にいる。 早めの正月休みではない。年末年始は年末年始で例年通り帰省の予定だ。 ではなぜ実家にいるのか。 ビッグウェーブ研修のせいである。 たまにはね、草群さんを見習って仕事の話を。 今日からとある施設で1日7時間ずつの研修を4日間みっちり受講することになっている。会社のキャリアうんたらとは関係なく、独立行政法人が主催する外部の研修だ。 その間弊社の事務所には出社しない。なるべく仕事は片付けて思いつく限りの準備の上、留守を任せてきたが、予算作成は放り投げてきたし、来週月曜日の朝、机の上を見るのも受信トレイを開けるのも想像するだに恐ろしい。でも絶対絶対全日直行直帰してやるんだ! なぜならその施設が、会社から2時間以上離れたところにあるからである。戻るだけで残業確定じゃないのイヤヨ。 ちなみに自宅からもそのくらい遠い。 調べてみれば実家からだと1時間ちょいである。ならば、泊めてくれとなるでしょう。 馬鹿みたいに早起きしなくていいし、朝ごはんと晩ごはん作ってくれるし、こうしてコタツもあるし。 お世話をしないといけないリンゴとフィナンシェは持ってきたが服は一着も詰めてこなかった。背恰好が似たりよったりな母のを借りればいいからである。 どんな研修か具体的に書くことは避けるが、本来私の立場ではどうしても受けなくてはいけないというわけではない。それなりに倍率が高くて優先順位が高い事情をもつ企業から選ばれていくから、弊社は申請しても弾かれる可能性が高かった。それでもすんなり受けられることになったのは、ビッグウェーブが来ているからだ。いや、知らんけど。 今年の夏にその団体に依頼されてセミナー講師をしたせいじゃないかと勝手に思っている。40分間、自分の経験をペラペラ喋った。 いい子ぶるのが得意なので、その時のグループワークで「(今回の)研修興味あるんですよ〜」と唾を付けておいた。 先月行われた同じ団体のもう一つの研修も、グループ会社の人が数回落選してやっと受けられたのに、部署の現状的に選考順位が低いはずの私は一回で通った。大人の事情が働いているのではと勘ぐってしまう。 ちなみにどうしても必要というわけじゃないのに4日間も不在にするようなやつ、よく会社が許可してくれたなと思うのだが、弊部署この分野に知識がある人がまだ私しかいなくて私が「必要だと思いますよ〜」と言えば、ひじ

おかしいな

気がついたらこの一週間、ほぼ毎日飲酒している……。 人生を放棄したわけでも、仕事を休んだわけでもない。 なぜだ。 鴨のパストラミを買っちゃったからだな……。 それと、急な飲み会を2件ぶちこまれて、想定していた自炊スケジュールが崩壊したため米を炊くのを諦めたせいもある。じゃあもう前後の日はコンビニのチキンとレモンサワーでいいか、みたいな。 よくないんですがね。まあ、たまにはね。 年末ならではの追い込み感も相まって、とにかく処理をやりきらないとマズい系業務がボロボロ出てきたため、新人にどんどん作業を教えて進めてもらっている。 この新人、いまのところほぼ私専属アシスタントみたいになっていて、ていうか私下っ端なんだけどいいんでしょうかと思ったんだが、業務上はうまくハマっているらしい。 仕事を作業レベルに落とし込むのってけっこう手間で、その手間を請け負うのは私くらいがちょうどいいのだ。 仲卸業者的な(ちがう)。 おかげで、最近はふたたび部署内のよろずお手伝い窓口になりつつある。今までなら降ってきた仕事は全部自分でやる体で組み立てていたものを、こんどは切り分けて人に渡す体で組み立てるので、頭の体操というか意識の切り替えが必要だ。これはこれでけっこう面白いし、「分担するとこんなに楽になるもんか」と実感する日々である。 ところで飲み会2件だが、いずれも上司のおごりで大変美味であった……。 ちょっとずつ違うメンバーで、4〜5人で飲むのって楽しい。ひとつは天ぷらとお魚メインの居酒屋で、ふたつめは焼肉だったんだけども、どちらも吸い込むように食べてビールをしこたま呑んできた。とろたくとかねー、牛ランプとかねー、ほぼ飲み物だよね〜〜〜〜。 会社の同僚や上司と喋っていると、つくづく自分はぼーっと生きてるんだなと感じる。というか、会社でのポジションとか、キャリアの積み上げとか、そういうことにほとんど興味がない。 いや、お給料は増えてほしいです。 思考に占める世界の割合が現実と創作で6対4くらいなので、ちょっと浮世離れしてみえるらしい。現実と適度に距離をとってるから、何があってもあんまり腹が立たないのかもね。 そのへんが重宝されてるみたいだし、若干気味悪がられてる気配もある。 まあ、妖怪だからな。 例年この時期、飲み食いする機会が多いぶんたちの悪い風邪をもらってくることが多いので気をつけようと思う

次は左の屋上

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大掃除を少しずつ始めている。 そもそも整理整頓が苦手である上、年末年始は駆け込み作業が入りやすい仕事をしているため、ここ数年ほど大掃除らしい大掃除をしていなかった。少し前の草群さんと同様、ちょっとしたものをちょっとずつ積み上げたタワーが家のそこかしこに建設されている。 そこで草群さんに倣い、私も場所を決めて、この「ちょっとずつタワー」をちょっとずつ崩していくことにした。 まず着手したのは、私が「左の四階」と呼んでいるエリア。積み上がったものを一つずつ検めたところ、なんと必要なものは一つもなかったため、すべて処理して小さな書き物スペースを作ってみた。 ノートを広げっぱなしにしておけるスペースがもう少しほしいと、常々思っていたのだ。左の四階は作業机の真横、そして左手を20センチも動かせば届く位置にあるため、この「ノート広げっぱなしスペース」にはぴったりだった。 これで左右どちらを向いていても、ぱっとメモを取ることができる。机の右側はメモパッド&マウスパッド代わりの色上質でほぼ完璧にカバーできていたのに、左がガラ空きなのがずっと気になっていたのだ。 それにしても、大掃除というのは恐ろしい。一つの場所が綺麗になると、どんどん欲が出てくる。今日だって左の四階を片付けた直後はやる気のエンジンが暴走しかけ、やるべき他の作業をすべて蹴散らして深夜までかかる大掃除を始めるところだった。あの勢いでは模様替えすらしかねなかっただろう。 そんな荒ぶる掃除欲を静めるため、今こうして日記を書いている。文字にしたらずいぶん落ち着いてきた。我が家のようなこじんまりとしたアパートで、隣人が丑三つ時に始める模様替えほど迷惑なものもない。世界平和のためにもやめるが吉。 そろそろ夕飯の時間なのだし、埃の立つような作業はまた今度。お茶でも飲んで何を食べるか考えながら、じっくり次に備えるとしよう。

まだ温かい

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 おばけキャッチの話はもういい加減やめようと思ったのだが、大会から帰ってきて1週間経ってもネタが尽きないというか興奮が冷めないので開き直って書き残そうと思う。 まずは大会の結果から、 チーム戦1位 個人戦3位 でした! 結果として東京でチームを組んだKさんがバッキバキに仕上げてきて、Kさんに助けられ、そしてやられたということになる。 詳しくは自分のnoteに記したので、ひまだったら読んでほしい。 新・おばけキャッチが強い奴と闘うために広島に行ってきた 12月3日の「じゃがいもを旅する(竹原篇)」も写真多めでこの記事に再録している。 大会が終わった直後は「魔王、強くなくなっちゃった……」としょぼんとしていたが、上記の遠征日記を投稿したところ、大会参加者や日頃からのフォロワーがたくさん反応をくれたことに大変気を良くした。 連日の残業もこのおかげで乗り越えられた。 ただの日記なのに、おもしろいって言ってもらえるのすごく嬉しいね。 土曜日 休日出勤をしていたが、午後には切り上げて東京ビッグサイトに向かった。 この日はゲームマーケットというボードゲームのイベントが開催されていたのだ。 同人でゲームを作る人がいる話は以前にちらっとした覚えがあるが、ゲームマーケットはその一大頒布場所、同人誌におけるコミケみたいなもんである。 各地のボードゲームカフェやゲームメーカー、中古ゲームを売るBOOKOFFなど企業ブースもたくさん出店する。 企業ブース 今回はここに用があった。 おばけキャッチはドイツ製のボードゲームだが、日本ではメビウスゲームズ社が日本語パッケージを作成し販売している。 そのメビウスゲームズが「おばけキャッチ段位認定会」をやるというのだ。 2日ほど前にそのやり方がSNSで公開され、ゲームマーケット(通称ゲムマ)に参加できない地方勢がやってみた動画を上げたり、おばけキャッチ界隈はにわかに色めきだった(私の狭い観測範囲内) メビウス、公式じゃん。公式に実力を認めてもらえるの?と。 じゃあ、行こうっと。 8年ぶりくらいに訪れたが、ゲムマは規模が拡大し、ものすごく賑やかになっていた。 15時の十数分前に国際展示場駅に到着し認定会は15時~16時開催のためメビウスのブースを一目散に目指し、すでに認定試験をしている人を眺める。 今回の認定は誰かと対戦した成績ではなく一人タイムアタック

こよみのはなし

ギャラリーイロのカレンダー展に行ってきた。 毎年恒例の企画展で、12月になるとここで来年のカレンダーを求めるのがならいになっている。壁に飾る絵をまめに入れ替える甲斐性はないけれど、カレンダーなら月が替わるごとにはっと気づいて変えられる。 実家では母が雑誌の付録のカレンダーにみっしりと予定を書き込んでいたが(主に私を含む三姉妹の学校の用事)、私のスケジュール管理は薄手の手帳と仕事で使うグーグルカレンダーなので、自宅の壁掛けカレンダーはもっぱら壁の花(ちょっと違う)と化している。 この一週間、特別忙しいわけではなかったんだがとにかく身体がしんどくて、の割に仕事が進まなかったので帰宅したら色んな意味で一日が終了していた。部署に新人を迎えて、席が隣だからちょっと気疲れしたのもあると思う。仕事を教えるの難しい。というか私もまだわかってないことが多い。人に教えると情報が整理されるというけれど、自分のなかで整理のついていない情報を他人に伝えることが私にはとてもむずかしい。という主旨のぼやきを漏らしたら、同僚に「だってアンタ、どちらかっていうとまだ教えてもらう側の人じゃん」と突っ込まれてすこし気が楽になった。 体感の時間と実際の暦に大きな開きが生じている。思えば一年前は将来への不安に駆られながら一日ごとのアルバイトでほぼその日暮らしだったのだ。安定した収入のある生活に戻ったのが5月なかば。え、まだいまの職場で半年経ってないのか。 赤ちゃんじゃないか! まあ三十代も半ば過ぎた社会人が赤ちゃんを気取るなという話なのだが、どうやら私は自分の甘さを自覚しているだけに己を追い込みがちだということに気づいた。 「このへんでやめとこうと思うのは甘えという名の悪癖である、ただ帰りたいだけですべきことはまだあるのではないか」と煩悶している間に上司の無茶振りに捕まる、という寸法である。件の上司もたいがい無理をしがちな人ではあるので、助けになるなら無茶振られもやぶさかではないのだが、度が過ぎると身体がもたない。おそらく、ここ最近のだるさはそのせいもあると思う。 そんなことを言いながら、先日は半日ゆっくり本を読む時間をとることができた。 月村了衛「十三夜の焔」。 宿命めいたつながりに翻弄される男二人の時代劇である。作者の「機龍警察」がめちゃめちゃハードでシビアでかっこいい、そして深い闇に切り込んでいく現代

他人行儀な本をもとめて

ものすごく久々に図書館へ行った。 読む本が手元にないわけではない。夏はなんやかんやと忙しく、忙しいと増築されがちな積読タワーが順調に高さを増した。秋は文学フリマ東京37と紙本祭5で文芸系の同人誌をいろいろ買い込み、我が家の同人誌を仕舞う棚は積載過多寸前だ。 そう、読む本が手元にないわけではない……どころか、いつも以上にたくさんの本たちが家で読まれるのを待っている。それなのに図書館へ行ってしまった。 私は、これぞという読みたい本があるときは本屋さんへ行く。本屋さんで買った本は、おおよそ未来永劫、自分のものになるのがいいところだ。自分のものになった本は、自分の好きに扱うことができる。本文に線を引いてもいいし、ぐいっと開いた状態でブックスタンドに固定してもいい。お風呂に持ち込むことすら可能だ。こういう読み方をしていると本は汚れるし痕がつくし、ときにはページがふやけたりもするのだが、私はこういう変化を味わいとして楽しんでしまえるタイプなのでなんの問題もない。むしろちょっと汚れたあたりから「自分の本」として一層の愛着を感ずるようになる気さえする。 これが図書館で借りた本となると、そうはいかない。書き込みなどもってのほかだし、読むときはあまり大きく開きすぎないよう注意深くなるし、お風呂になど近づけもしない。本屋さんで買った本に比べて、図書館で借りた本というのはどうにも他人行儀だ。 でも、私はこの他人行儀さを求めて図書館へ行くのかもしれない。「これぞという読みたい本」ではない本に触れたくなるときがあるのだ。図書館のおおよその空間には、最新刊でも今話題の一冊でもない本が並ぶ。けれど整然と並び立つ本たちの背表紙の中には、目にするや否や「これは私の読みたい本」と確信できるものが確かにある。発行年も、作者の住まう地も、流行も越えて、「今の私が見つけた、今の私が読みたい本」――そんな本を手に取れたときの喜びは、なにものにも代えがたい。 ともあれ、今日は図書館へ行ったのだ。 書架の間を徘徊し、探偵小説をいくつか借りた。ジェイムズ・ラヴグローヴという作家が手掛けたシャーロック・ホームズ&クトゥルフのダブルパスティーシュを2冊と、ジーン・ウルフの読んだことがないものを1冊だ。いずれも発行は早川書房だが、ジーン・ウルフのほうは新☆ハヤカワ・SF・シリーズというレーベルから出ており、このレーベルは新

じゃがいもを旅する(竹原篇)

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 土曜日から広島にいる。 11月22日の日記にも書いたように、おばけキャッチ大会のための遠征旅行である。 半年も前から楽しみにし続けていて、直前には各メンバーの熱の入れようにビビり散らして、決戦前夜は興奮と緊張で眠れないのではと心配していた。 が、平日連日の睡眠不足や本来の目的を完全に忘れ去ったアクティブ旅程が祟ったのか、夜になって入浴後、急にめまいが止まらなくなり、仕方なくホテルのベッドでぼんやりしていた次第である。 メンタルよりフィジカルにくんのかよ。 体調のことはXにつぶやくと調子が悪かった時の言い訳になりそうでよくないので、ここに残すにとどめる。ここは正直な日記の場だからね。 しかし、12月2日の自由行動は楽しかった。 せっかく広島に行くのだ、変な我慢で妥協したくない(そういうとこやぞ) 4時台に起床 6時台の新幹線に乗り込み 10時台に広島入り ホテルに荷物を預け 川沿いのベンチで光合成しながら、買っておいたアンデルセンのパンをもぐもぐする。 前回来た時、この川沿いぼんやりをやってみたいと思ったのよね。 11時台のかぐや姫号に乗る このかぐや姫号は高速バスで竹原市まで1時間半ほどで輸送してくれる。 そう、本日の目的は前回の自由行動でジャガイモを求めた東広島市安芸津よりさらに東にある竹原である 竹原に何があるのか ジャガイモだ またしてもジャガイモだ 私、芋研ゼミのゼミ長なので 高速を降りて 山に囲まれた民家は 茶色い瓦屋根と、しゃちほこが付いている家が目立つ。 そういう風習というかブームだったのかな。 12時半頃竹原駅に到着し、 観光案内所で予約していた電動アシスト付自転車を借りる。 長野の旅行ですっかり味を占めたんですよ、車がないならペダルをこげばいいじゃない。 しかも長野の山より傾斜がきつくないはず、楽勝よ。 瀬戸内さざなみ線の線路と並走して 吉名の駅を過ぎさらにまっすぐ スキーウェアに手袋、分厚い靴下装備なので寒さは感じず 13時過ぎに目的地である「農家レストラン西野」に到着した。 農家レストラン西野は土日の昼間だけ開かれていておばあちゃんの家庭料理が食べられるお店 ここに吉名のジャガイモ料理が出てくると情報を得まして 潜入! 数日前にNHKのローカルコーナーで紹介されたと情報をもらっていて、混みすぎて入れなかったらどうしようと心配していたが、賑わっ