日々は続く
うわ二週間経っとる! どうかご容赦ください、遊び呆けていたわけではないのだ。 仕事がバタついてるのはいつものことなのだが、 七月上旬に祖母が亡くなり、前後で心がなかなか落ち着かなかったというのがとても大きい。十年以上前に祖父が亡くなったときはもっとたくさん親類がいたのに、残された人間は数えるほどになってしまった。 コロナ禍もあって数年ぶりの長崎、ずっと良くないのは聞いていたから心構えはできていると思っていた。 思っていたのだけど、目の当たりにするともうダメだった。 祖母は誰からも愛されて、おしゃれだし多才だしいつもきちんとしているし威張ったところもない、身内びいきでなく本当に立派な人だった。だった、というのが過去を実感してまだ切ない、というのは置いといて、いい思い出は山ほどあるはずなのに、失ってみると後悔ばかりがよぎる。 忙しいだなんだ、コロナだなんだ、たしかに身体が弱っている相手にホイホイ会いに行くのは憚られるが、なりふり構わずに会いに行けばよかった。節目節目でかならず背中を押してくれて、いいことがあれば一緒に喜んでくれて、大人になってからは夜更かしして色んな話ができるようになって、でも住まいが離れているからそんな機会も数えるほど。 何も、何もできなかった。 まだ何も返せていない、いや、この先も返せるかどうかは怪しいが、そうじゃなくて。 残されるというのはこういうことなのだ。 もう会えない悲しみと同じくらいの重さで、情けない気持ちがずっしりと身体の底に沈む。 祖母には信念というより覚悟のような「こうありたい」があって、揺らがない芯はありつつ人当たりは朗らかなのが素晴らしいところでもあり、恐ろしくもあった。なんでそこまでできるんだろう。すぐ癇癪を巻き散らかす孫は不思議でしょうがなく、がっかりされるのが怖かった。だからずっと、祖母(祖父も)に対しては他人行儀なところがあって、なかなかべったり甘えることができなかった。 いつも朗らかで、人の悪口を言わず、どんな相手にも心を配る。 離れていても、そういう祖母を見てきたのだ。私もそうなりたいし、そうありたいと思い続けることがきっと大事だ。 私の後悔は、これからの生き方で少しずつ溶かしていけたらいい。 生きている私達の日々は続くし、立場も仕事も人間関係も山ほどあるし食事も睡眠も生きることすべてを考え続けていくのだ。ずっとひとつ...