塗りと余白
塗りのお箸を買いました。 食いしん坊を名乗るなら、いずれはいい箸を使いたいと思っていたのだ。ウレタン塗装も楽で良いけれど、漆塗りはまた別の良さがある。真っ黒も真っ赤もいいけれど、私は溜塗が好きだ。朱で中塗りして、半透明の透き漆を塗り重ねる。新しいうちは黒っぽいんだが、使っていくうちに色味が変わる。少しずつ透明感が出てくるのだ。 この色が好きでなあ。 溜塗の椀も持っている。これは、ヒカリエにある食堂で使っている小どんぶりぐらいの椀の感じがとてもよかったので、通販で同じものを買おうとしたらサイズを間違えて普通の汁椀サイズだったという、 まあでも、日々の味噌汁が格上げされてこれはこれでよい。 ただなあ、味噌汁も豚汁もがぶがぶ飲みたいので(いつか塩分過多で死ぬ)(汗っかきだから意外に大丈夫な気もする)、やっぱり小どんぶりサイズもいずれは、と思っている。 椀は浄法寺塗、箸は東京の職人のもので、丸太から削り出した逸品だったらしい。 らしい、というのは、塗りの見た目と手にしたときの細さがしっくりきただけで「ください」したため、添えられていたリーフレットであとから知ったのだった。 見る目あるじゃーん。 椀は使いはじめてしばらく経ち、いい具合に透け感が出てきた。 箸は四月の自分の誕生日にでも、と思っていたのだが、自分のためにじっくりものを選ぶ元気がなくて最近まで引っ張っていたのだった。ようやく役者が揃って、いくらか日常に張りがでたように思う。 相変わらず仕事では自分の悪癖と向き合って四苦八苦しつつ、たまに個性という名の飛び道具でぽーんと褒められたりして浮き沈みの激しい日々だが、帰ってくるなり力尽きるターンを抜けたので、器にも気を配れるようになったのである。 余白が生まれたのだ。やったあ。この余白、どう過ごそうかなあ。 とかなんとか、「ていねいな暮らし」みたいなことを口走っているものの、いま半裸でこれを書いている。 なんだここ数日の暑さ。ていうか湿度。やっと人間らしくなれたと思ったら、この暑さのせいで今度は社会性を失いそうである。 はやくにんげんになりたーい。