混然一体、有耶無耶に
雨の日が増えてきましたね。梅雨らしい梅雨は数年振りであるような気がする。
見知った四季の一片を久々に目の当たりにしたと気づき、ほっとしたような、地球環境の変化が恐ろしいような。このまま、ほどよい気温の夏を迎えられるとよいのだが。
さて、雨だからというわけではないが、最近、ジムのトレッドミルでハムスターになっている。
トレッドミル(いわゆるウォーキングマシンだけれど、私が通っているスポーツジムではこういう洒落た表記になっている)って、散歩の下位互換だとずっと思っていた。
何故なら私にとっての散歩とは、その楽しさの多くを「景色の変化」が占めているからだ。
歩くという行為だけ捉えれば、散歩もトレッドミルもやっていることは同じだろうと思われるかもしれない、だが日々の天候に合わせて気楽な衣服を選び、頬で風の具合を感じ、道端に生える草木や店の軒先の、こまごまとした移ろいを眺めながら、気ままに移動することこそ、散歩の醍醐味というものでしょう。
それを貴方。ジムの白い壁と、視界の隅にちらちらと入ってくる赤字の「火災時の注意」に関する文言をじっと睨みつけながら、ただただ足を動かすだなんて。そんな歩行、ちっとも楽しそうではない。
歩くことそのものも、決して嫌いではない。ないけれど、まあ同じだけの時間があるならば私は外を歩きますので、あえて室内でハムスターにならなくてもいいかな……と、そう思っていた。
そんなことを考えていた私が、どうして宗旨替えをしたか。それはポッドキャストを聞くようになったからだ。
もともと、今年のウィッシュリストに「お気に入りのポッドキャストを見つける」という項目を立てていた。自分で探したり、人からおすすめしてもらったりして、めでたくいくつかの「お気に入り」を継続視聴している。
新しく生活に入り込んできた、この楽しいポッドキャスト習慣だが、散歩との相性はあまりよろしくない。景色を見ていると耳が疎かになるし、耳に集中すると交通事故が心配だ。だからといって、部屋でじっと他人のお喋りに耳を傾けていると、どうしても眠くなったり、ちょっとした雑事の処理に着手したりしてしまって、どうも集中できない。
そこで、景色がまったく変化しない室内で、安全に延々と歩くことができる、トレッドミルに白羽の矢が立ったわけである。
次に聞きたいものを一、二本ほどスマホにダウンロードし、ジムで軽く運動したあとにイヤホンを装着し、トレッドミルでさくさくと歩く。
目の前が「無」だから入ってくる音声情報にほどよく集中できるし、散歩よりは少し強度の高い有酸素運動ができるのも嬉しい。がっつり汗をかくような運動からは距離を置いていたせいか、初回はたったの三十分で、自分でも驚くほど大量の発汗があった。
そんなつもりじゃなかったのだけれど、この思いっきり汗をかくという行為が、存外に気持ちいい。こんなにしっかり身体を動かすのは、数年前に仕事の形態が変わり、そのタイミングで通っていた暗闇ボクシングのジムを退会して以来じゃないかしら。
それからというもの、もはやハムスターになって汗をかくためにジムへ行っているのか、ポッドキャストを聞くためにジムに行っているのかわからないような状況が続いている。目的と手段と効能が混然一体、有耶無耶になってしまっているが、一粒で二度美味しいことには違いないので、問題はない。
ところでこの日記を書くにあたり、あらためて「散歩」を辞書で引いたところ、驚愕の事実に行きついた。
小学館が発行し、辞書アプリの物書堂が配信している『精選版 日本国語大辞典(ver. 1.1.3)』によれば、散歩の本来の意味は「運動のために歩くこと」。そこに後から、「逍遥」の意味が合流してきたのだそうで……。
私が楽しんでいたのは散歩の中でも、比較的新しい概念の部分だったようだ。得意げに「ハムスターになる」などと揶揄していた、己の無知に恥じ入るばかりである。
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