出不精、山へ行く

私が物書きに手を染めたのは、荻原規子『空色勾玉』にはじまる勾玉シリーズの影響がとても大きい。
手を染めた、などというと悪事の片棒を担がせたようで聞こえが悪いが、他に言いようも見当たらず。まあいいか。

同じ作品を愛する者どうし、というきっかけで、おもにSNSで交流のあったNさんが山に行くというので、連れて行ってもらうことにした。
ひとりでも行くという。そういうの大好きだ。呼びかけがあったのはたしかまだ冬のこと、そのお山とお社が件の作品に縁があるというので、一も二もなく手を挙げた。
基本、どこへでもひとりで行こうとする人間である。なんかこう、いろいろと行き詰まっていた時期でもあり、私には山が必要だと思ったし、新しい景色が見たいと魂レベルで切に求めて苦しんでいて、そんな人間でも相手をしてくれるだろうというNさんへの信頼もあり。

渡りに船。蜘蛛の糸。本当にありがたかった。

さて、ワークマンひじきと違って私は山の装備なぞ揃えていないので、それなりに難所はあるぞと聞いていたが普段着の延長で、靴だけは頑丈なものを選んで待ち合わせの時間に向かった。

御嶽駅に9時。

普段の生活に比べるとずいぶん早起きしたが、山登りにしては優しい時間設定だと思う。雨の気配が残る重たい雲の下、もう五月もなかばだというのに寒いほどの気候で、でも平日にいつもと逆の電車に乗るのはわくわくした。
珍しく遅刻せず、なんなら乗り換え待ち二十分の青梅で一度降りてコンビニに寄れた。
ほとんど顔合わせたこと無いけどNさんわかるかなと心配していたが

杞憂

帽子の特徴聞いてたのもあるけど、改札出てすぐわかった。

あとはもう、天気予報(晴れ予報だったが朝は曇りどころか霧まで出ていた)を疑いながら
「バスに乗ります」へー!
「ケーブルカーに乗ります」へー!
と、目的のお山へどう向かうのか本当にまったく調べずに来たどうしようもない連れを朗らかに導いてくれたNさん。
ほぼネットでしか交流してないのに、このあと一日中ずっと話し続けることになる。
すごいな、同じものを好きで育ってきたからか。

バスからケーブルカーに至る道も、ケーブルカーから武蔵御嶽神社までのみちのりも急な坂がしばしば、たいした距離じゃないのに息切れしておのれの衰えにうっすら絶望したものだが、四六時中駆け回っていた学生時代なんてもう二十年近く前なのだから自惚れもいいところ。変なこと考えないで一生懸命ついていけばいいのだと思うと気も楽で、Nさんは「この霧では上までいけないかも」としきりに心配していたが、私は何の根拠もないが晴れるだろう、行けるいけると内心高をくくっていた。
根拠がないわけでもないな、霧ってだいたい気温が上がれば晴れるというし。なんか大丈夫だと思ったのだ。

この日は特別なおいぬさまデーだったらしく愛犬を連れた方もたくさんいて、Nさんはいそいそと御朱印をいただきに、もちろんそんな素敵な用意のない私はホケーっとおみくじをひいて、思い当たる節しかないありがたいお告げに慄いていたら仕事のチャット通知がひっきりなしに鳴り、みんなが大変な事態の収拾に追われているのを見てさらに震え、とりあえずひととおり状況確認だけして(じゃないと逆に落ち着かなくて)
御朱印帳を預けて戻ってきたNさんに「なあんだ、仕事のことならよかった」と言ってもらってようやく人心地ついたのだった。
そうね、仕事のことならどうにかなるし、いまの私にできることはないね。
なんたって山にいるからね。

真の目的は御嶽神社よりさらに奥、男倶那社と奥の院だったので、いよいよ山道に入る。「拒まれてたどりつけない社の話」をちらほら耳にしていたので、そういう意味で行けなかったらどうしようなんて思っていたが、道は進むごとに明るく、まだ若い葉の緑はうつくしく、親切なんだか意地悪なんだかわからない木の根っこにとりつきながら、健脚のNさんになんとかついていく。

本当に緑がうつくしくて、この時期でよかったねという話を何度もした。
霧が晴れていく過程も光の通り道がよく見えて目に楽しかったし、用心する足元にオダマキやシャガ、祖父が存命なら鼻の穴を膨らませて解説しはじめたであろう山の花が咲いていて、頭の中もどんどん晴れていった。

早くも山を降りてくる人々とすれ違い挨拶しながら、道を譲ったり譲られたりしながら、熊よけ代わりに延々Nさんと話をして、途中息切れでそれどころじゃない箇所も往々にしてあったのだけど、身体の使い方を思い出し、どんどん元気になっていったのだった。

呼ばれてたね、お山に。
必要だったね、お山が。

衰えた私でもほどほどに頑張ればいける程度で本当によかった。天狗の腰掛け杉、弟橘姫命の石碑、男倶那社、奥の院峰山頂まで、勾玉シリーズ二作目『白鳥異伝』に通じるポイントを辿ってだんだん会話の内容も濃くなっていき、山頂でいよいよ各々の蔵書とアクスタを取り出すという

この日までに物語を再読しようとして叶わなかったので、内容忘れてついていけなかったらどうしようなんてちょっと心配していたのだが

杞憂

登場人物のままならぬ運命、死んでいった者と死ねなかった者に思いを馳せ、しまいには作中の一節を暗誦しはじめる始末。
山頂に異様な結界を張る二人。
で、最終的に「すいませんすいません」と頭を下げながら祠と書籍、アクスタを同じ画面におさめて悦に入る二人。
節度を、節度をもってと己に言い聞かせながら神様の推し活をするのはとても楽しかったです。まる。

復路はよじのぼった道をそろりそろりと足をおろしていくため早々に筋肉痛の気配がしていたが、空気は乾いて空は真っ青、視界が開ければ山の連なりが見通せて大変気持ちよかった。ここまできた、と確認しながら帰ってくるので行きよりも呆気なく感じたが、霧と晴れとでまったく景色が違うので二倍楽しんでしまった。

そしてNさんにはほぼ初トークにも関わらずめちゃくちゃパーソナルな話までしてしまって、ほんと私サシだとやりがちなんだが、それが相手の負担になっていないことを願う……でもNさんは大丈夫な気がする。謎の信頼(全幅)。

もう本当におなかぺこぺこだったので、山を降りる前に浅田次郎ゆかりの宿坊にて釜飯セットを……
なんだこれは全部うまい
山菜やあぶらげの釜飯、なんか全部でっかいきんぴら、山くらげ、つけもの、異様にうまいなめこの味噌汁、トゥルントゥルンの刺身こんにゃく。
うまいうまいとむせび泣きながら平らげて、座敷がほぼ貸し切りなのをいいことに延々しゃべり続け、ボーンボーンと鐘を打つ時計に「うそだろ」と目を剥きながらコーヒーまで追加(さらに居座る気満々)。

棚にずらりと並ぶカップ&ソーサーを見せてもらって、好きなカップで飲んでいいなんて言われたら、ねえ。

山でのびのび暮らすねこさんとガラス越しに見つめ合ったりして、とても良い時間をすごした。

そうして帰りのケーブルカーの時間をどんどん遅らせて、バス停まで降りてきたらちょうどいいバスがなかったもんで「いっか!」とブンブン歩いて川沿いまで降りて、地図を一切見ないで(特に私が)みちしるべだけを追いかけていったので探検みたいで最後の最後まで本当に楽しかった。

打ち捨てられた庭とか、川から見上げるとまたいろんなものが見えて。
このへんのテンションがほぼ同じで本当にありがたかったですNさん。
こんなぼうっとしたやつを連れてってくれてありがとうNさん。

と、これでもかなり割愛したのだがいくらでも長く語れてしまうのでこのくらいに……。
楽しかったのでむらくもやまでもきっと行きたいし、ソロでも怖くない低いお山へも行けたらいいなと、すっかり山の懐の深さに魅了されてしまったのだった。

あとはなあ、もう少し教養があればなあ。すっからかんで歩くのも楽しかったが、下調べをしたらまた別の楽しみ方ができたんだろうと思うと
また行かねば

山で憑き物が落ちたからか、Nさんにめちゃくちゃたくさん話を聞いてもらったからか、
いろいろと踏ん切りがついてすっきりしたので草群の人生がまた動き始めております。
転がる石のはなし、ひじきさんやまおりさんまた今度きいてね。

人からは認められてるんだけどあなたには不満があるでしょう
あと、親類とは仲良くしときなさいよ
(意訳)

武蔵御嶽神社でひいたおみくじのありがたいお告げでした。

コメント

  1. 山という日常と切り離された空間って、気持ちいいですよね。できることは自分の体と目の前にしかなくて、だからこそ気づけることがあったりして。楽しかったことがよく伝わってきました。むらくもやまでも、お山に行きましょう。

    返信削除

コメントを投稿