種は蒔いている

 文学フリマ東京42、お疲れ様でした。

むらくもやまの三人のうち、「くも」と「やま」の部分は出店して『むらくもやま日記3 あめあがり』を販売し、「むら」の部分は一般参加で打ち上げから合流してくれた。

打ち上げは、ひじきさん経由で知り合った方々と一緒に。ペンネームやSNSのアイコンには見覚えがありながら、生身で会うのは初対面という方もちらほら。けれど、そこは「書く」「読む」という共通の趣味を持つ大人同士、あっという間に打ち解けてしまった。

私は場で熱く語られていたプロジェクト・ヘイル・メアリーにまんまと興味をそそられ、読みかけだった原作小説にふたたび手を付け始めています。

次回の文学フリマ東京は、今年の十一月開催。こっちは(全員の諸々が首尾よくゆけば、おそらく)むらくもやまの三人ともが出店者として参加することになるのではないかしら。

それまでに、なんとか新刊を捻り出せるとよいのだけれど。

久々の大規模なリアル即売会。会場でいつも本を買ってくれる常連さん方が、口を揃えて「書き続けてくださいね!」「新刊も待ってます」とエールをくだすったのだ。待ってくれている人がいるありがたさを噛みしめると共に、最近は新作小説を発表していないものだから、見てくれている方々にちょっとした不安を与えてしまっていたのだろうか、と、やや申し訳なく思ったりもしている。

新刊の種はね、いろいろ蒔いてはいるんです。あとちょっとだけ待っててね。

会場でやる気を、打ち上げで元気をもらった文学フリマ東京42。さて次に向けて新作をと考え始めたとき、ふと「コンセプト」という語が浮かんだ。

この言葉が意識に上ったきっかけは、文フリ東京の一週間ほど前にある。

四月の末、私は『つくってるとちゅう展』という展示会に出展していた。「むしろ、つくってるとちゅうが面白い」というキャッチコピーのもと、様々な分野のクリエイター5名が集結し、それぞれの「とちゅう」を展示するという企画だ。

写真、ビスクドール、ニット、立体造形を手掛ける作家さんたちのお隣で、私は『ぶんぶくふくぶん』という短編集を作ったときの「思考の途中」を展示した。

この企画、かつて吉祥寺にて文芸同人誌のシェア型本屋を運営していたときのご縁でお誘いいただいたのだけれど、蓋を開けてみれば私以外の人間は全員が美大卒、および現役の美大生だったようだ。道理で皆、展示慣れしているはずである。皆の展示を眺めているだけで、「次があったらこうしよう」という自分の展示の改善点とアイデアがもりもり湧いてきた。

出身の畑こそ違えど、出展仲間の皆さんがとても気さくに接してくれたおかげで、肩身の狭い思いはせず、お客さんがいない時間は延々とお喋りに興じていた。

その中で、頻出していた言葉が「コンセプト」なのである。

美術を体系的に学んだ方々いわく、何かを作るにはまずコンセプトを定めることが肝要なのだそうだ。ほぼ門外漢である私にも、その必要性はなんとなく理解できる。が、私は小説を書くとき「コンセプト」を、つまり「この作品に触れた人にこういう体験をしてもらうことを目的に作ろう」ということを強く意識したことはない。書く前に、ざっくりと企画書めいたものは用意するけれど、それは「こういう作品をつくります」という所信表明というか、執筆にあたり自分が迷わないための設計図でしかない。

ならば私の書く小説はコンセプトとはまったく無縁なのかというと、そうでもない。この展示会に参加するにあたり、自分が同人誌をつくるときの「思考のとちゅう」をボードにしたことで気づいたのだけれど、私は小説を書き終わり、本にするとなったとき、そこで初めて「コンセプト」を考え始めているらしい。手に取れる物体を作るとなったタイミングで、だ。

そう考えると、私にとって小説というのは手に取れるものではないのかもしれない。手に取れないから、そのまま誰かに受け渡して「触れて」もらうことがうまく想像できない。だからコンセプトを考えたことがない……?

言葉遊びの領域に踏み入り始めた感が否めないが、この直感はそう大きく外れていないように思う。次の文学フリマ東京43、そこで出す新刊の構想を練りながら、そんなことを考えているゴールデンウィークの最終日なのでありました。

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