ホームの美術館
年が明け、一月末をもって私の主催していた文芸同人誌のシェア型本屋・招文堂が閉店と相成った。きちんとしたご挨拶はしかるべき場所にて公開する予定なので詳細は割愛するが、やりたいことをやりたい放題やらせてもらったため悔いはない。
店ではひじきさん、草群さんもともたびたびお喋りし、楽しい時間を過ごさせてもらった。大切な思い出をありがとうございました。
そんな中、閉店の二日前に、ずっと気になっていた作品展へ行ってきた。
武蔵野市立吉祥寺美術館の、『所蔵作品展 版画の魅力 技法の共演』だ。
吉祥寺美術館は、吉祥寺の街中も街中、商業ビルの七階に存在する。今回の作品展の看板も街中の、よく歩く大きめの通りのど真ん中に出ているものだから、生活の中でその看板を目にするたびに「やってるなあ」と横目で見ていた。「行きたいなあ」とも思っていた。
この場で語ったことがあるかどうか覚えていないのだけれど、私は吉祥寺美術館に常設展示されている、浜口陽三という作家さんのお作が大好きだ。そして氏は、銅版画をたくさん制作している方なのである。所蔵作品展の作家リストには当然のように「浜口陽三」の名があり、吉祥寺美術館のWEBサイトでは私が氏に心惹かれる切っ掛けとなった、『19と1つのさくらんぼ』という作品の展示もほのめかされていた。
『19と1つのさくらんぼ』は氏の作のなかではわりと大判で、常に展示されているわけではない。表に出ているなら、ぜひ見たい!
そうは思いつつ、きっと閉店にかかるアレコレの忙しさにかまけて行かずじまいになるのだろうと思っていた。
だが、ありがたいことに関係者各位のスムーズなレスポンスのおかげで事務処理やお手続きがサクサクと進み、先述した閉店二日前の夕刻、ぽかりと時間が空いたのだ。
件の美術館はやや小ぶりで、二時間もあればすべての展示作品をとっくりと眺めることができる。今なら行ける。
そんなわけで、別件での外出の帰り道、冬の日がすっかり傾いた五時過ぎに滑り込んできた。
今回の作品展のタイトルには「技法の共演」とある。その名の通り、この作品展は、いくつかある版画の技法のそれぞれを解説する映像からスタートした。おや、シルクスクリーンについての説明もある。草群さんお手製のトートバッグはこういった手順で刷られたのかと感慨深く映像を見通した。
なんとなくだが知識を入れ、いざ作品展へ。いくつかの作品の脇には、その版も展示されていた。にわか仕込みながらも“どうやって刷られたか”を知った上でそれらを見ると、「ひょっとして、この穴はコレコレを合わせるために開けられてるのかな」「あ、版の外側に引かれているこの線はさっきの映像で見たアレですね」などと、訳知り顔で楽しむことができる。親切かつ、わくわくする構成だ。
期待していた『19と1つのさくらんぼ』も、しっかり展示されていた。
整列した19のさくらんぼたちが闇夜にぽんぽぽんと跳ね、跳ね損ねたのかそもそも列に加わる気がないのか、少しだけ離れたところに1つのさくらんぼが、これまた元気よく浮かんでいる。
このさくらんぼたちが本当に跳ねているのかどうかは作者に聞いてみなければわからないが、私はこれを見るたび「今宵も元気に跳ねているなあ」と感じて、少し元気になる。『19と1つのさくらんぼ』、やはりよいものだ。
他の作家さん方のお作もじっくり見てまわり、最後にもういちどさくらんぼをしげしげと眺めて、美術館を後にした。
吉祥寺美術館において、企画展の入場料は三百円(常設展の入場料込み)。常設展の入場料は百円だ。なんどチケットを買っても安すぎて心配になるが、このお値段ゆえに、散歩の途中でふらっと立ち寄って、好きな作家さんのお作を眺めてぼうっとするという、なんとも贅沢な時間を過ごすことができる。
立って間近で見つめるのもいいが、座って少し遠くから眺めるのもいい。浜口陽三氏の作を常設展示している「浜口陽三記念室」には、変わった形の椅子があるのだ。そこにゆったりと背を預けて、闇夜に浮かぶさくらんぼやらてんとう虫やら、アスパラガスやらを眺めていると、何とはなしに「戻ってきた」感覚に包まれる。
好きなものを好きなだけ眺めて、自分が何をいいなあと思っているのか思い出せる場所。吉祥寺美術館は私にとって、ホームのようなものなのかもしれない。
『所蔵作品展 版画の魅力 技法の共演』は三月一日の日曜日まで開催されているそう。機械があれば、ぜひ行ってみてくださいな。
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