本の読める日
まちなかに住んでいると、「なんかおいしいもの食べたい」が徒歩圏内で叶えられる喜びがあるなあ、と実感する休日。
小津夜景「いつかたこぶねになる日」
ここ十日ほど、「頑張れば頑張るほど貧乏くじを引く」としか言いようがない理不尽な目にずいぶん遭って、似たような境遇に置かれた周りの心ある仲間たちとなんとか励まし合い、昨日土曜日にとどめの一発をお見舞いされて風呂にも入らずにふて寝したのだが
翌日曜日の今日、己に褒美を与えんとする意欲が蓄積した疲労に勝り、昼過ぎに街に繰り出したのであった。
豪雪の地域もあるというのに東京はすっかり春の陽気、なるほどだからお布団から出るのが容易だったんだと上着もなしに家を出て、溜めこんだクリーニングを出し、送るべき荷物も発送し、すっきりした気持ちで歩きながらランチの検討に入る。
ラーメンは遅い時間でも食べられるし、チェーン店の気分でもなし、なんとなく感じのいい店で過ごしたいなあと考えて、洋食のらすぷーるへ。
ここ、サラダのドレッシングが異様に美味しいのだ。日替わりランチのハンバーグは角のとれたやさしいデミグラスで、例によって例のごとく、吸い込むように平らげてしまった。
フロアを担う明るいお姉様方の心配りが行き届いていて、こちらの何気ない一言にもポンと小気味いい返答があって、子連れも年配のお客さんものびのび食事を楽しんでいるし、本当にいいお店だなあといつも思う。
それからカルディでうまそうなものを買い込み、芋洗いの如き通りを縦横無尽に歩き通してバースデーカードやらお花やら、以前から目をつけていたマーガレット・ハウエルのカフェでキャロットケーキも入手し、通りがかりにうっかり徳利を買いそうになったが一度見送り、本屋でピンときた文庫本を連れ帰って、それでもまだ午後四時すぎ。
このまま帰るにはまだ惜しい、といつもの焼き鳥屋さんをのぞいてみたがしっかり繁盛しており、駅前の通りを脳内でざっとおさらいしてみたところ
そうだ
鳥貴族があるじゃないか
焼き鳥好きを公言しておきながら鳥貴族は行ったことがない、と言うと小さく驚かれるもので、いつかは行きたいと思っていた。最寄りのトリキは駅前ビルのだいぶ上の階で、見るとビル前にいつも若者がたまっているので立ち寄りにくかったのだが、聞けば一人客にもやさしい席配置になっているという。
ふくらんだエコバッグには買ったばかりの文庫本。軽く焼き鳥をつまみつつ、呑みながら読書というのもいいだろう。
というわけで。
〜メガジョッキのレモンサワーと焼鳥を添えて〜
愛嬌たっぷりのカバーデザインとぽっかり月の浮かぶような帯、
南フランス在住の俳人によるエッセイ、というのでなんだかおおらかで愉しそうだなと思って読み始めたらその内容は巧みに漢詩の世界へと手引きするもので、「きょ、教養〜〜〜」と頭上に感嘆符を並べながらすいすい読んだ。
トリキの二人掛けカウンターは縦格子でふんわり仕切られており、これが背もたれになって読書にちょうどいい。
片手に文庫本、もう片手に串あるいはメガジョッキ。
うわあ、えらいものに手を出してしまったぞ。
おそろしいのは、この店の営業時間が深更に及ぶことである。
え、遅くまで働いてへとへとでも遊びにきていいってこと?
わーお。
抱えていた企画の仕事が、企画準備段階からじっさいにモノを動かす段階に入り、四六時中思考のリソースを占めていた「あの件どう解決しよう」の大半が旅立っていったので、やっと本を読める余裕が出てきた。
本を読む、あるいは物語を生み出せるコンディションは、必ずしも時間や体力だけではない。頭のなかにもうひとつの世界を成立させるだけのスペースがないと、どうにも思うようにならないのだ。
このことにトリキのカウンターで気づき、本当によく頑張ったな自分、とため息をつきながら焼き鳥を頬張った。
帰り道にふくらみかけた沈丁花の蕾、帰宅した我が家のテーブルでは、ふくよかなドレスの如きラナンキュラスがいよいよ大きく花開いている。
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