喉元過ぎれば

遅ればせながらハッピーホリデー! 今年は2つのアドベントカレンダー企画に参加しました。

▼「辛さを爆破する(したい)食事メニュー表 Advent Calendar 2024」へ寄せて、「すいとん自由形」
https://yamaoritei.com/4140

▼「一次創作イベント・合同誌主催や創作者に寄与する活動をしている人が1年を振り返る Advent Calendar 2024」へ寄せて、「2024年から2025年|小さなものを集めていく
https://yamaoritei.com/4178


これらの記事を持ち出し用のノートPCで書きながら、十二月は引っ越しをした。

新居で段ボール箱をひとつ開けるたびにちょっとした問題が飛び出し、積み上がった段ボール箱をひとつ片付けるたびに下から新たなタスクが掘り起こされる。気づけばせっかく誘ってもらったおいしいパフェの予定を、泣く泣くお断りしなければならぬほどの忙しさだった。これが……師走……!

SNSに流れてきたひじきさんのお写真でパフェ感を補給し、草群さんのおうちご飯とお酒のお写真を眺め、次回むらくもやま会への期待を高めながら作業を進める日々。つらい開梱作業の中、おふたりの生活の気配には大変助けられた。本当にありがとうございました。

師を追い越す勢いで走り続け、おかげ様で諸々の片付けも手続きもどうにか目途が立ちつつある。そんな冬の終わり、我が家は赤貝と格闘していた。

赤貝。お寿司のネタや海鮮丼によく使われている、だいだい色と乳白色のグラデーションをその身に宿したあの貝だ。

引っ越したおかげでずいぶんと近くなった某スーパー、そこの鮮魚売り場が夕方の安売りをしていたものだから、「へえ、どんなものかしら」と覗いたが最後――刺身でいけるという触れ込みの大ぶりな赤貝たちが、新居のキッチンにごろりごろごろ、15個も転がることになった。

それもこれも、1盛り五〇〇円だと思っていたものが実は2盛り分の値段であった上、閉店間際であったからか立板に水の店員さんが「赤貝お求めの方ほかにいらっしゃいますか? いらっしゃいませんね? はいそれでは最後の1盛りおまけします~」なんて流れるようにもう1盛りを厚手の青いビニル袋に流し入れ、あっという間に封をして値札シールまで貼ってくれてしまったがためだ。

疲れを溜めた食いしん坊が、ここまでされて断る理由があろうか。いや、ない。

こうなっては仕方がない、赤貝のためである。と、予定になかった日本酒まで買ってしまった。

ほくほく顔で帰宅し、日本酒を冷蔵庫に入れて、ふうとひと息。

さて、おふたりは赤貝を捌いたことがありますか? 私はありませんでした。

「赤貝 捌き方 刺身」などで検索してもらうとわかるのだけれど、赤貝の捌き方を解説したコンテンツはどれもこれも「まずはよく洗って貝殻の泥を落とし、蝶番にナイフか何かを差し込んでテコの原理で殻を開ける」という旨の一文から始まる。その後に、身の外し方、食べられない部位の取り除き方、切り分け方に下処理の方法など……いわば本編ともいうべき、解説者それぞれの技術とこだわりが反映されたパートが続いていくわけだ。

いくつかのWEBサイトや解説動画を参照し、概要を頭に入れる。ふんふんなるほど、ものすごく奇妙な手順を踏まなければいけないわけではなさそうだ。絶対に美味しそうな部分が実は毒を持っている、なんてトラップもない。これはいけるな。

ボウルに赤貝を、手始めに3つほど入れ、水を張ってタワシで殻を擦る。真冬の水道水はキンと冷えていて、そこに突っ込んだ手もあっという間に芯まで凍る。この「ちょっとした不便をともなう不慣れな作業」がいかにも年末らしい。

擦っていると、殻にへばりついた黒っぽい藻のようなものが取れてくる。擦って、擦り、しばし考え、茶色いタワシを金属製のものに持ち替え、また擦って、擦れれば、擦れるとき……

最初のひとつを擦り始め、かれこれ10分。これは大変なものを買ってしまったかもしれない。

赤貝の殻には縞模様の細かい畝がある。その畝の、谷の部分にびっしりと藻が生えているのだが、これがとんでもなく丈夫で、擦っても擦っても終わりがみえない。この手の中の赤貝を、さっき観た捌き方解説動画に出てくる美しく白い状態にするまであと何分、いや何十分かかるのだろう。

赤貝というのは下拵えの序盤から、こんなにも時間と腕力を要する食材だったのか。そりゃあ高級なはずである。新鮮なネタの提供を信条としている世のお寿司屋さんや海鮮丼のお店では、見習いさんがこうして毎朝、冷たい水に手を浸しながら赤貝の殻を擦っているのだろうか。そりゃあ高級なはずである。

仕方がないので「殻ごと煮るわけでなし、泥がちゃんと取れたらよしとしよう」と妥協して、捌く作業に入る。さすがに15個の赤貝を一晩で食べきることは難しいため、一部は冷凍保存する気でいたのだけれど、そこは足のはやい貝類である。冷凍保存をするにしたって、捌いてぬめりを取るところまではやっておいたほうがよいらしいのだ。

目の前には、洗いを妥協した赤貝がひとつ。今日中に捌き終えられるのを待っている手つかずの赤貝が14個。赤貝の捌き方を調べ始めたのが19時時頃で、今や19時時半になんなんとす――

無為に時計を眺めている場合ではない。やるしかない。

ここからはパートナーと分業体制を取ることにした。

ゴム手袋を装備した私がひたすらに赤貝を洗い、隣でパートナーがナイフを手に貝を捌いていく。

これでなんとか、せめて20時すぎには晩酌を始められるであろうと思った矢先、また問題が発生した。

パートナー曰く、赤貝捌き方解説の序文にあった「蝶番にナイフか何かを差し込んで」があまりにも難しいそうなのだ。

洗っている最中の赤貝の、蝶番のところをまじまじと見る。確かに蝶番には隙間などなく、この堅牢な一枚板のどこに「ナイフか何かを」「差し込む」のか、ちっとも想像がつかない。

このままナイフで無理をするのは危ないということで、選ばれたのはゴムつき軍手とマイナスドライバーであった。引っ越しの際、うっかりフローリングについてしまった養生テープの貼り痕を削り取るのに大活躍してくれた彼との、約二週間ぶりの再会だ。おおマイナスドライバー、貴方には期待していますよ。

そんな頼もしいマイナスドライバーを駆使しても、蝶番を攻略するのは大変に難しく……最終的には、「貝殻の一部を割ってできた隙間からマイナスドライバーをねじ込み、蝶番をこじ開ける」という強硬手段がとられる運びとなった。貝ひもと身の一部がちょっと傷ついてしまうため、解説動画やお寿司屋さんのブログで見たような、美しく飾り切りされた赤貝の刺身が食べたいならやめたほうがよかったのだろう。だが、しかし、今回はよしとした。

ことここまできてしまった以上、今夜のうちに赤貝を美味しく食べられるか否かが肝要なのだ。見た目なぞ気にしている場合ではないのである。

そんなこんなで15個の赤貝を捌き、塩でぬめりを取り終えた頃には、21時を大きく過ぎていた。ガラスのボウルに納められた、少し傷つけど尚つやつやの赤貝たちを前にしばし呆然とする。ただでさえ忙しい年末に何をやっているのだろうか。

我々は赤貝を捌ける人々の技術力にかんして、あまりにも理解がなかった。刺身で買うと高い食材には、刺身で買うと高いだけの理由がある。「自分で捌けば1個あたり百円」だなんて、なんと浅はかな考えだったのだろう。いつも赤貝を捌き、我々においしいお刺身を安価で提供してくれる、赤貝を捌く担当の人々に感謝と敬意とたっぷりのお賃金を――

ところで捌きたての赤貝は身がぷるりとしており、噛めばまろやかにしたホヤのような独特の味、少し遠くに海の甘い塩の風味が香って、大変に美味でありました。

喉元過ぎればなんとやら。またあの味が恋しくなってきてしまっている。

赤貝有識者各位におかれましては、ぜひ今度どこかで、「蝶番にナイフか何かを差し込んでテコの原理で殻を開ける」部分の詳しい解説をお願いできますと大変にありがたく存じます。

コメント

  1. お引越しだけでも大変なのに、またえらい大工事をなさって…
    貝、あまり得意ではなかったのだけどちょっと食べたくなってきました。というより、開けてみたい。

    返信削除

コメントを投稿