遠足前日

遠足の前日はわくわくして目が冴えて眠れない、という話をよく聞くが、どちらかというとわたしは憂鬱になるタイプである。
憂鬱、というか面倒なのだ。いつもと違う時間のいつもと違う集合場所が。

普段の学校生活が苦でなかったから、特別感ブーストがあまりかからなかったのかもしれない。遠足とか修学旅行がが嫌なわけじゃない。ただ、もうちょっと寝かせてくれと思っていた。あと、駅前広場やなんかで並んでる待ち時間は好きじゃなかったな。あの、ただ定刻を待つだけの時間。ちゃんと戻って来るから好きにさせろと思っていた。
今思うと、目つきの鋭い子どもだったと思う。きっとあれが思春期だ。尖ってたなあ。

今でも集団で足並みを揃えるのは苦手だ。集団、っていうものにあまり意味を感じないんだと思う。大勢でいることの圧力というか、周りが見えなくなってしまうのも怖いと思う。
大人になって久しいが、所属する場所を選べるようになったのは良かった。そのぶん責任も伴うし、仕事に至っては食い扶持がかかっているけれど。
子供の頃、同級生と「何のために勉強するんだ」という話になったときに、「勉強ができたほうがいろいろ選べるから」と答えていたおぼえがある。勉強自体面白かったが、それを言うと奇異な目で見られるので冷めた方向に言葉を選んでいた。いずれにしても感じの悪いやつである。

話がそれた。

こんな話をはじめたのは、明日が半年に一回開催される文学フリマ東京の日だからだ。
やまおりさんの克明なワイヤー工作の記録でも明らかな通り、文芸をはじめとする創作あるいは自家製本、リトルプレスに関わる人間の一大イベントであり、地方からの遠征組も少なくない。
近年、特にコロナ禍以降規模が拡大し続け、出店者は情報発信に余念がない。そうしないと膨大な作品数の中で人知れず埋もれていくからだ。
いや、大変なことですよこれは。
いつもなら憂鬱な気分も拭えないでいるところだ。決められた時間に従って動くというのがやっぱり苦手なのだ。かといって時間が決まっていなければメリハリのない日々を過ごすことになるので、外的圧力も大切なのだけど。
社会生活とは…。
最近日常のあれこれに行き詰まりを感じていて、だいたいは時間の経過とちょっとした心がけで改善できることなんだが、どうも鬱々としてしまっていけない。
そういうタイミングで、明日みたいな大きなイベントがドカンとあるのは大きな救いである。いつもと違う場所、いつもは会えない人たち、普段と全く違うコミュニティ。
非日常って生きるのに必要不可欠のものなのだ。旅に出るのでもいい、公園でぼんやりするのでもいい、一日図書館に籠もるとか、そういうめちゃくちゃ偏った時間の使い方をするでもいい。
頭の中を、まったく別の空間に飛ばすこと。

そういう意味でも、先週末ひじきさんとNさんとご一緒させてもらった台湾料理食べ放題からの池袋〜板橋間をさまよい歩いた日はとても楽しかった。知らない街を、好き勝手言いながらとっとこ歩く。行き先はなんとなく。道端のあれこれに目を輝かせ、お互いの好きなものとか詳しいものの話をぽつぽつ教え合いながら歩く。
昔からあるんだろう荒物屋さんとか、壁から飛び出たバランス釜の躯体とか、アジア食材の並ぶ商店とか、惣菜のおいしそうな肉屋とか。比較的古い建物が多かったので、私の階段欲もなかなかに満たされた。
鉄骨の、薄いなりした階段が好きです。
あと、まるく磨かれた木製の手すりがある内階段も良いですね。

この歳になって、互いが互いに興味と敬意をもって時間を共有できる仲間がいる。とても嬉しいことだし幸せだなあと思う。
明日はそんな方々が各地から大集合する。SNS上で普段から付き合いはあるけれど、直接会える機会はまた別の感慨がある。
みんな日々の暮らしをちゃんとこなして、まる一日あけてやってくるのだ。
立派だ。立派な大人の集まりだ。本まで作ってるなんて、奇跡のような人たちだ。
ぐっすり寝て、元気な顔で会いに行こうと思う。

コメント

  1. 「だいたいは時間の経過とちょっとした心がけで改善できることなんだが」そうなんですよねぇ、でも渦中の間はんんんーなの。
    お散歩楽しかったですね!ふたりの視点が違うから、どの道でも何もないなんてことはなくて。
    赤いブラシの花を通勤路で見つけて、「ここにもあったのか水筒洗えるタイプのブラシ……」と毎日あの日のことを思い出しています。

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  2. こうしてそれぞれの生活を垣間見れるのが交換日記の醍醐味。用なし彷徨い散歩、楽しいですよね! 何ともなくお互いの得意分野を開示しながら行うそぞろ歩き、またやりたいものです。

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