空飛ぶ列車と海のお風呂

8月も終わろうかという日曜日、ようやくちょっとした遠出をすることができた。

といっても日帰り、鈍行列車でぼんやり行って帰ってくるだけの日程である。今週は職場がバタついていた上、余計に背負い込んだ仕事まであったから金曜の昼には白目を剥きかけており、土日は完全休養に充てることを心に決めていた。土曜はすべてを放り出して存分に昼寝して、明けて日曜日、どうやら動けそうだと判断しておでかけに踏み切ったのだった。

そもなぜ鈍行で熱海かというと、温泉に入りたかったのと調べてみたら片道三時間もかからないとわかったこと、それと青春18きっぶを使いたかったためだ。

一枚の切符にJR普通列車一日乗り放題の枠が五つ並んでおり、春季・夏季・冬季の年三回発売される特別企画乗車券である。私はこれを学生時代より旅の伴としており、ここ数年はいろいろあってあまり出番がなかったのだが、九月にこれで二日間かけて大阪に向かうという計画を立てており、なら残り三枠はどうする、どこかへ行かねば!という謎のタスクが発生していたのである。


あんまりぼんやり家を出たのでうっかりいつものとおり定期で駅に入ってしまって戻ったり、スムーズに乗り換えられるよう経路を調べておいたはずが別の駅でポッと降りてしまったり、まあいろいろやったが東海道本線にどっしり座ってしまえばこっちのもんである。持ってきた本を読んだりうとうとしたり、進むにつれて乗客もまばらになっていくから快適さは増すばかり。ほどよくふかふかの椅子を乗車料金だけで占拠できるなんて、空いてる電車というのは最高のくつろぎ空間だと思う。

温泉についてからランチにするか、あるいは小田原あたりでおさかな食べようかな、と考えていたのだがふと思い出した。小田原の港、早川港はアジが有名で、アジフライがまじで美味いのだ。学生時代、研究活動のからみで足繁く小田原に通っていた頃、仲良くなった市役所のお姉さんが連れて行ってくれたのは場外市場の食堂。あの頃は朝からやってたので、朝ごはんにがっつり定食を食べた記憶がある。
そうだ、あそこへ行こう。
青春18きっぷのいいところは、どこで乗り降りしようが料金を気にしなくていいところである。「あ、ネコチャン!」って電車を降りたってなんの影響もない。到着時間が遅れるだけのことで、一人旅には最適の切符なのだ。
わくわくしながら早川駅で降り、長いホームにわずかしかない屋根の下で人々がみしっと電車を待っているのをニヤリと眺めながらまちにおりる。降車した人の流れについていったら、どうもみな新しくできたおさかな施設に向かうところだったらしく途中でひとり離脱することになった。
そうそう、逆だったわ。十年以上前の記憶なんててんで当てにならないものだ。
じりじりと陽にあぶられながら船の並ぶ漁港へ向かうと、新しいごはんやさんやらえらく上等なかき氷屋さんやらいろいろできていて、これが時の流れかと口が真四角になった。それでも、目当ての建物は変わらぬ佇まいで、しかも食堂は二階だから地元民メインでサッと入れた。
ふふ、嬉しい。
券売機もボタン式からタッチパネル式に変わっていてなんだか感慨深い。ミックスフライやビールも悩んだが、このあとメインの温泉が待っていることを考えてアジフライ定食のみにした。
大きくて肉厚でふかふかのアジフライ、あとごはんはカマスごはんと白米から選べて、おかわり自由だったので当然のごとくおかわりした。


またじりじりと炙られながら駅に戻り、ふたたび電車に乗り込む。東海道本線の早川ー根府川間は私が最も好きな区間で、山側にはみかん小屋、農道のすぐ脇を走り、どんどん海側へと近づいて、ふっと海と空だけになる。



まるで空飛ぶ列車だ。
根府川駅の周りは、学生時代にさんざん歩き回ったので知り合いもいるし好きな場所も多い。その頃は下から見上げていた赤い鉄橋を、今回は渡って通り過ぎる。

またしばらく本を読んでいると、終点の熱海についた。
駅からシャトルバスが出ているはず、とのりばに行ってみたらすでに満席、なんなら家族全員座れないから降りますってゴネてる客までいて、面倒になって歩くことにした。
熱海は坂のまちだ。海まではけっこうな下り坂、しかも昼下がりのカンカン照りで、アーケードを出てすぐ後悔することになった。ただ、レトロで謎の品揃えの店と新しくてオシャレな店が混在していて、これはバスじゃ見られなかったなという発見もあった。それにしてもオシャレな店ってオシャレに力入れすぎて何売ってるかわからないことあるよね。ちょうど喉乾いたときに、「ドリンクスタンドっぽいけどなんかよくわからないオシャレな店」があったがスルーした。

方向だけつかんで、あとは適当に歩く。脇に細い階段を見つけて降りてみたり、そしたら思いがけずいい旅館の前に出てしまったり、起伏のあるまちは歩いていて面白い。暑さだけはこたえたが、行く手に海水浴場が見えて元気が出て、何筋か海に流れこむ川のせせらぎを見下ろして元気が出て、どうも目的地が秘宝館付近だとわかってにわかに面白くなって、着いてみたらほんとうに秘宝館に向かうロープウェーのりばのすぐ横だった。


スパのフロントへたどりついた頃にはもう汗びっしょりのへとへとだったが、だからこそお風呂への期待も増すというもの。
今回の目的地は、オーシャンスパfuuaといって、海と空と一体になったような露天立ち湯で知られている。女性用のお風呂は七階、洗い場と内湯を抜けておもてに出ると、横に長いプールのようなお風呂がばーんと広がっていた。海側のへりは分厚く、内向きに傾斜がついていて、のばした状態で腕を預けるとちょうど肩がひたひたに浸かる。ほどよくぬるくていつまでも入ってられるし、眼下の海では初島に向かうフェリーが一生懸命泳いでいたり、トンビが近くを飛んだり、折しも雷を伴った雨雲が近づいていて、稲光に声をあげたり、不穏な風と雨に漣だつ水面、ぼたぼたと落ちる雨粒が跳ねてまるで星空のように見えたりもして、本当に飽きることがなかった。それでもあまり浸かっていると指先がふやけきってしまうので、さまざまに趣向を凝らしたおやすみスペースに移動し、レモンサワーを片手にふたたび読書。一冊読み終えてしまったら一眠りして、冷房で冷やしてしまった身体をもういちど温泉であたためる。

おかげで私の身体は完全にゆるみきった。
ざぶーんと温泉に浸かって気が済んだら出てこようと思っていたが、ゆるみすぎて動くのにずいぶん時間がかかってしまった。

施設を出たらばらばらと雨が降っていて、日中の灼熱はすでになりをひそめていた。帰りのシャトルバスを待ってもよかったけど待ってるあいだに歩けば駅につけそうだったので、サッと切り替えて歩くことにした。
ゆるんだまま帰りたい気もしたが、やっぱり歩いたほうが見るもの多くて面白いんだよな。このへんを勝手に決められるのもまた、一人旅の醍醐味である。

戻る道もほとんど地図を見ずに適当に歩いて、さっき降りた階段はこれか、などといちいち面白がっていたらそれほど長くは感じなかった。賞味三十分。ひと雨過ぎたあとで涼しく、人が減って歩きやすかったせいもあるかもしれない。時刻は午後六時をすぎて大半のお土産屋は店じまいしていたので、駅ビルでなぜかナスとオクラを買い求めて電車に乗った。

東京駅まで一本で帰れる。らくちんらくちん。途中までは本を読んでいたけれど、ゆるみきった状態で起きていられるはずもなく、人が増える平塚あたりは爆睡して記憶がない。

東京駅に着いたらお腹が空いてしまったので、ついでにラーメン食べて帰りました。
やっと夏っぽい旅ができた。はー楽しかった!

コメント

  1. 夏って感じの旅ですね~。
    私も3月に熱海の温泉でゆるんだり、7月に早川で半生アジフライ食べたのを思い出しました。
    青春18きっぷ、あこがれがありつつまだ使ったことないんですよね。今度ヘビーユーザーのアドバイスください!

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  2. 地図を見ないで町を歩くのって、どうしてあんなに楽しいんでしょう。青春18きっぷって学生さんじゃなくても使えるんだ~ってこと、こないだ初めて知りました。ヘビーユーザのアドバイス、私にもぜひ!

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