目覚めの話

 ここはいっそと思い立ち、朝一番で日記を書いている。
 仕事を終えたら家を飛び出し、お酒を呑んで美味しいものを食べ、帰宅後はすぐに眠ってしまうことが確定している今日なのだ。

 とはいえ朝である。
 起床してから今この時までに発生したイベントといえば、起床と朝食くらいのものだが……朝食については少し前の日記で触れたように思うので、ここでは起床について書いてみよう。

 私は目覚まし時計が鳴らなければ、いくらでも眠れてしまう質である。この性質のせいで学生の頃はずいぶんと苦労したが、親と同居していたがため、重大なミスは犯すことなく学校を卒業することができた。

 その後、一人暮らしを始め、目覚まし時計がスマートフォンのアラームになってからしばらく経った頃――ふと気になった。「いくらでも眠れる」の「いくらでも」とは、果たしていかほどなのか、と。

 さっそく試してみることにした。

 とある休日前の、夜の十時。折しも季節は眠りと親しい春である。いつもは翌朝の速やかな目覚めのために開けている雨戸をあえて閉め、ベッドのそばに水入れを置く。枕カバーとシーツを整え、ただでさえ深い眠りをさらに深くするため、枕元に置いた湯に薄荷のオイルを浮かべることまでした。

 うきうきとした心地とは裏腹に、ベッドに横になると、眠りはあっという間にやってきた。その後の記憶は、当然ながらおぼろげだ。暗闇の中で薄目を開け、夢心地で水を飲んだのは覚えている。時間はわからない。たとえ朝日が昇っても、雨戸を閉めた室内は夜のままであった。

 続けて眠り、眠り、眠り続けて――「もう眠れないな」と思ったとき、覗き込んだ時計の針が指していたのは四時。もちろん夕刻の、である。呆然と雨戸を開ければ、窓の外は夕焼けで真っ赤になっていた。

 おおよそ十八時間睡眠。誰に知らせることもなく始めた他愛ないチャレンジだったけれど、この数字を見たときは思わず誰かに電話をかけたくなった。私以外の人間にとっては反応に困る話題だろうとも思ったので、誰に言うこともなくここまで来たのだが……こうして日記に書いたことで、十年は前のあの夕方、感動に身震いした自分が少し報われたような気がする。

 起床の話をしようと思っていたのに、睡眠の話になってしまった。けれど、それも仕方がないことだろう。眠りがなければ目覚めはなく、目覚めの後にはどうしたって眠りがやってくる。目覚めの話をするとき、眠りの話を避けては通れない。その逆もしかり。ふたつは表裏一体なのである。

 そして私はといえば、あのチャレンジの後、「私はその気になれば十八時間だって眠れるのだぞ」という謎の自信を胸に生きている。いつかの冬、お腹を満たし、水差しをいっぱいにして、三日ほど冬眠をするのが目下の夢である。

コメント

  1. 夜に予定がある日も朝に日記書いて、えらい!
    おねむりチャレンジ18時間、ちょっと日常がゆらぐような時間の経過ですね。眠くなったら昼でも夜でも好きなだけ寝れる生活、してみたいです。

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  2. 枕元になみなみの水差しを置いて冬眠、やりたいですねえ……ふかふかの毛布と、埋もれるほどのクッションの山と……

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