おばさんになっても
先ほどまで焼肉を食べていた。
この年になっても、焼肉は「生きてる!」という感じのする食事だ。
火を使って自らの手で肉を焼くからだろうか。テンションが上がり、命を感じやすい。
今回は特にお手頃価格で食べ放題という学生が喜びそうなプランで、気持ちはいつまでもお子様なのだった。
テーブルを共にした相手は元同期のNさんである。
同じ会社に在籍していたのは5年ほどだが、Nさんが退職した後も1年に1~2回、映画を見たり食事をする付き合いが10年以上続いている。
新卒内定者の頃「おう、体育会系陽キャばかり。同期というくくりがなければ、関わらなそうなタイプの人ばかりに見える。仲良くやっていけるのか」とびくついていた(というか遠慮が強いあまりに浮いていた)私に人懐っこく話しかけてくれ、気安くしゃべることができた数少ない同期だ。
いまではNさんは2人の子の母になり、幼稚園や小学校の保護者役職をこなしつつ、子育てに邁進している。
あちらの日常は、子どものことパートのこときちんと手作りする料理のこと。
対する私は子どもをこしらえる予定はなく、かといってバリキャリというには適当すぎて、その時々の興味関心に惚けている。
共通の話題であった職場も多くが異動や退職で入れ替わり、Nさんが顔の思い浮かべられる人は少なくなっている。
つまり、親しくなった時は似たような境遇だったが、今では道が分かれ、私は森で、Nさんはタタラ場で暮らしている。
それでも会えば楽しいのである。
互いの趣味でわかりあえることがあるからかもしれないし、Nさんが聞き上手で私の話に熱心に相槌を打って適切な質問をくれるからかもしれない。
Nさんに限らず、結婚をし、子供を産み育て、若い時ほど自由に出歩かなくなった友人は多い。
約束をするなら子を預けられるようかなり前もって、夕方には帰宅できるような距離で、遠出や宿泊を伴う旅行はもってのほか。家族の体調不良でドタキャンもあり得る。
最近知り合った人はともかく、高校・大学からの同年代の友人はそういう時期だ。
こうやって遊び相手が少なくなっていくのかと寂しく思ったこともあるが、縁が切れず細々とでも付き合いが続いていくのはありがたいことである。
ステージは変わっても、慣れ親しんだ人柄の部分は変わらない。
子育てあるあるネタは持ち合わせないが、話を聞くことはできる。
体の不調・衰えあるあるネタなら共感し合えることもあるだろう。
そのうち子が長じ、手を離れる時間が増えたら、待ち合わせもしやすくなるかもしれない。
実際、結婚が早かったNさんは今このように夕食を共にしているわけだし。
久しぶりに声をかけたいなと、忘れずにいてもらえるように、私は私でいようと思う。
肉! よい。いいですねえ…!
返信削除長年の友人の、人柄の部分が変わってないと嬉しくなっちゃいますよね。
子のいる友人たちはなかなか忙しいお年頃ですよね。そんな彼女たちを心から尊敬してやまないのだけど、久しぶりに会った友人から〈結婚して子育て〉じゃない生き方は自分にはできない、と言われ、そういうこともあるのかと思いました。しかしあれですね、会合の中心に肉というのがまたいいですね。
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