かっこうをつける

あれ、日付を間違えて日にちを飛ばしてしまった。
交換日記なのに……申し訳ない……
悔やんでも松陰寺でも時は戻せないので、気を取り直して先に進もうと思う。

世間はお盆休みに突入しているが、こちとら暦どおりの三連休。週明けには出勤である。
とはいえ三連休。世間の浮かれ気分に乗っかって、ちょいと出かけてみるのもいいだろうと足を向けたのは国立新美術館だ。

テート美術館展、テーマは光。ターナーをはじめモネもシスレーも来ている、そういやテートって前読んだ小説にも出てきたな、音声ガイドは誰だろ、フーン板垣李光人か、旬の人だし名前に光をいだいている、素敵な人選だね……
なに? 羽多野渉だと⁉
今よりも数段オタク度の低かった頃から声が気になってキャストを調べると彼だった、ということがちょこちょこ続き、現在劇場版ライブが大ヒットしているスマホゲームの推しを演じてらっしゃる、なんなら配信ライブのブルーレイも持ってますが⁉ という声優の羽多野渉さんがナレーションに参加してるとなれば体験しないわけにはいかない。

いつ行こういつ行こう、はよ行かんとまた会期を逃すぞ、と己のお尻をペンペン叩いてやっと立ち上がったのが連休初日の昨日であった。普段は半袖Tシャツに適当なズボン、まさにテレビで見る番組ADみたいなカッコをしてるのだが、お出かけにはお出かけの衣装というものがある。お気に入りの花柄スカートにフレンチスリーブのカットソー、天然石に家が生えたゆかいなペンダントを首に提げ、つんと顎を上げて家を出る。私の場合、たまにこういう「格好をつけた非日常」を投入してやると日常に張りが出る。最近、アイラインをちゃんと引けるようになったこともあり化粧にも意味を見いだせるようになった。ここまでずいぶん長かったな。補修の必要も増したしな。何でも必要に応じて上達するものだなあと思う。

帰省ラッシュがピークだったらしく電車に乗ればキャリーケースが林立し、親に連れられた小学生が大音声でちょっとおもしろい話をしている。ボリュームを抑えてくれと思わないでもないが、きっと我ら大人も子供の頃は同じように大騒ぎしていたんだろうとちょっと反省する。

国立新美術館の最寄り駅は乃木坂で、思ったより近かった。地下から上がる道、前を行くのはだいたいカップルで、まさかみんな同じ展示を……と恐れていたらそのまさかだった。

チケットを買ってから入場までおよそ三十分待ち。

国宝展の入場を思えば大したことはないのだが、何せお盆時期の炎天下。並ぶのは屋内だがこれだけ人が密集していると体温が気温に作用する。建物自体もガラスファサードでさんさんと陽が入るわけで、冷房効率は著しく悪いに違いないなどと考えて気を紛らわした。

さて本題。

これだけ混んでいたら音声ガイドは出払ってるんじゃないかと思ったが拍子抜け、貸出カウンターのお姉さんは暇そうにしていて、使い方を丁寧に教えてくれた。美術館の音声ガイドっておじいさんが聴いてるラジオみたいな見た目で苦手だったのだが、使ってみたらこれが楽しいのだ。
「あれなら俺でも描けんじゃね」的なしょうもないコメント(こういう輩に対して私は大変狭量である)が気にならなくなるほか、わざわざ人混みをかき分けてキャプションを読みに行かなくてもだいたいのことはガイドが語ってくれる。らくちん。目と耳同時に作品を鑑賞できるという点もとてもよかった。

それにな、耳元で推しの声がするんだよ。
マスクしてて本当によかったと思う、語り手が入れ替わるたび「ニヤア」ってしちゃうんだよ。
さすがプロだった。聞き取りやすく、解説部分と画家の残した言葉とでは表現ががらりと変わる。

色彩、陰影、絵画、立体作品、宗教に画題をとった古い時代の表現から、具象を抜け出そうとした形と色彩の抽象的な構成、映像や空間のインスタレーション。一貫して「光をどう扱い表現するか、そこに何を込めるか」を試行錯誤してきた画家や作家の足跡を横断的に眺めることができて、すごく面白かった。バウハウスの講義のために作られた、影の落ち方を解説する図や絵画もあって、学生時代の製図を思い出して親しみを感じたりもした。

展示が終わりに向かうにしたがって、表現方法も多様化し、というか工業的になっていく。だんだん作品どうしが干渉し合うようにもなって、これも今回の展示のみの現象だろうから存分に楽しんでおく。そうこうしているうちに展示空間とは違ったざわざわの気配がしはじめた。

ミュージアムショップだ。

私は大抵、ここで逆走を始める。展示のはじめのほうはだいたい雑念だらけであまりまともに鑑賞できていないし、この混雑で寄りで見るのを諦めた作品もある。そういう思い残しを片っ端から拾いに行くのである。気に入った作品の前ではもう一度立ち止まり、音声ガイドもふたたび再生する。ガイドで得たちいさな知識を携えてあらためて見直すと、すこし感じ方が変わったりもする。

2周したあとはおとなしくミュージアムショップで買い物をし、あんなに館内に人がいるのに誰もいない階段(階段めぐりは密かなたのしみだ)を堪能し、久々の国立新美術館をあとにしたのだった。

その後六本木のミッドタウンに足を運んで、全力でかっこつけた東京を存分にあじわい、しかしけっきょく茅乃舎でやきとうもろこしごはんの素とか買って帰るあたり食い気からは決して逃れられない宿命。

ものを食べるのと同じくらい、かっこいいものとかうつくしいものに触れることは私にとって不可欠だ。不足するとなんだか荒むように感じるので、どんなに根っこが生えてもまたお尻をペンペンして出かけようと思う。

いやー、もうちょっとすいた頃にもういっぺん行こうかなテート展。

翌日の今日は反動で全力でダラダラした。

コメント

  1. 勝負服ならぬ余所行きの恰好でテンションを上げることありますよね。美術館や博物館は、有名な企画展ほど土日はどうせ大行列だろうなと最初から諦めることが多くなっちゃいましたが、行くと絶対楽しいんですよねぇ。私も億劫がらずにすごいものに触れに行きたくなりました。

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  2. 声が気になってキャストを調べるといつも〇〇さん、ってこと…あるよね……!! 美術館にいくときはおめかししたく気持ちにも頷きっぱなし。私も気になる展示、探してみたくなりました。

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