積ん読ロマンス

 『ニューロマンサー』という小説を読み始めた。
 ウィリアム・ギブスンによる長編SFで、サイバーパンクというジャンルが広く知られるきっかけとなった、エポックメイキングな作品であるらしい――というのが、この小説について、私が最初のページを開く前に知っていたすべてだ。

 いや、実のところ、作者の名すら正確には知らなかった。
 日記の書き出しとして、作者名まであやふやではさすがに格好がつかないだろうと、パソコンのキーボードの脇に置かれている、読みかけの文庫本の背表紙から引いてきたのだ。

 こう記せば、私がいかにSFというジャンルについて無知であるかがお察し頂けるかと思う。

 いやいや、それどころか……私はおおよそのジャンルにおいて、エポックメイキングであったと呼ばれるような古典や名作をきちんと読んでいないような気さえする。

 とはいえ、今まで読んできた小説のすべてを覚えているわけではない。エポックメイキングな作品を一つも読んでいないと断言すれば嘘になってしまうだろう。
 だが少なくとも、今までに読んできたどんな小説も、「これは〇〇というジャンルにおいて■■であったと位置づけられている」と認識した上で読んではいないのだ。そういった来歴を頭に入れてから対面したのは、国語の教科書に載っていた、森鴎外の『舞姫』が最後だったような……?

 ともあれ、『ニューロマンサー』である。

 私がこの小説を読もうと思ったのは、オモコロというWEBメディアで、『読まずに語れ!積ん読王決定戦(https://omocoro.jp/kiji/204488/)』という記事を目にしたのがきっかけだった。

 タイトルの通り、積ん読の経験者たちが己の積ん読について語る記事だ。しかもその語りを評価し合い、もっとも魅力的な積ん読ライフを送っている人物を王として表彰してしまうのである。

 この記事の中で、とあるライターさんが『ニューロマンサー』を積んでいた。そして語っていた。表紙がかっこいい、と無邪気にはしゃぐ積ん読王決定戦の参加者たち。それだけで私は「あっ、読んでみたい」となってしまった。影響されやすいのだ。

 前述した記事に影響され、私はまんまとJ・G・バラードの『殺す』を入手した。『テルリア』も積んでいる。
 『テルリア』は記事に書かれていたとおり厚く、重いが、大好きだった『イルミナエ・ファイル』と同じく〈断片集〉であるとのことなので、きっと楽しめるだろう。

 これだけ積んでいるが、しかし私は、まだ『ニューロマンサー』を読み始めたばかり。具体的には、48ページまでしか読んでいない。SFに馴染みがないせいなのか、はたまたギブスン氏の《華麗で電撃的》な文体に知らず耽溺させられているのか、どうにも読みこなすのに時間がかかるのだ。
 ひさびさの、歯ごたえのある大物。これだから古典はうれしい。

 悪戦苦闘しつつ、ちらりと横に目を向ければ、『ニューロマンサー』以前からの――短くて半年、長くて三年は前からの積ん読たちがこちらに背表紙を向けている。

 ふと思う。
 もしかして、この積ん読たちについて私がどこかで語ったら、その語りに影響されて「その積ん読を読んでみたい」と思う人がいるのではないだろうか。
 まさに今の私のように。

 誰かが、自分の家にある積ん読について語る。
 その語りを聞いた誰かが、その本を買う。
 その本が買った誰かに読まれている間、本来その人が読むはずだった本は本棚に留め置かれる。
 留め置かれていた本たちが読まれる機会を逸し、積ん読になる。
 その積ん読について、誰かがまた別の誰かに語る。
 その語りを聞いた誰かは、その本を買って――

 この日記を書くために調べたところ、『ニューロマンサー』というタイトルは“NEURON"(ニューロン)と、"NECROMANCER"(ネクロマンサー)を合わせた造語らしいが、同時に「新しいロマンス」という意味も込められているのだそうだ。

 影響されやすい人間は、恋にも落ちやすいと聞く。けれど、こういった出合い頭の恋ならば、いつでも、どんな本とでも大歓迎だ。

コメント

  1. 積ん読ねぇ、読む気はあるんだ、でも今じゃないんだと確実に増えゆくそれを見て見ぬ振りしてます。人のおすすめや語りに影響されて本を借りてみる・買ってみるのは私もよくあって、今までの自分では選ばなかったような本と恋に落ちるの、楽しいですよね。

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  2. そういやニューロマンサー積んでるな……手元に置いておけばいずれ時期が来るって信じてるけども……

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