日のくれぬうちに

仕事机の横に「日のくれぬうちに」としたためられたポストカードを貼っている。新潟は〈酒道楽 工藤〉という酒屋に縁のある「たつろう」という方の筆である。顔も知らぬ御仁だが、そのような情報がポストカードの宛名面に判で押してあったので、土地の者ではない私にもそうとわかる。

この手書きであろうポストカードは、新潟の鮭が有名な町の、おそらく町民会館のようなところで、縦長の空き箱に差され無造作に配布されていたものだ。いくつか種類があるなか、いちばん気に入った一筆がこの「日のくれぬうちに」だった。

確たる記述こそないが、どうやら出典は詩家であり書家でもある相田みつを氏の書、「生きているうち はたらけるうち 日のくれぬうち」であるように見受けられる。書に関して私はまったくの素人だが、その素人目にも、特に「ぬ」の筆致には相田氏への強いリスペクトが垣間見える……ような気がする。ともあれ、この一節だけが切り取られポストカード一枚に納められた本作には、原典とはまた違った味わいがある。

日のくれぬうちに、さて何をするのだろう。仕事を終えるのか、ごろりと寝転がってしまうのか、はたまた仲の良い友人に会いにゆくのか――想像の余地をおおいに残し、けれど、どんな状況であったとしても、なんだか身の内がそわそわと浮き立つ。いい言葉だ。私はこの言葉から、直感的にこんなフレーズを受け取った。

なんだって日のくれぬうちにやるのがよろしい。日がくれたら酒を呑むのだから。

ところが、この夏である。

日のくれぬうちには暑すぎて窓を開けることすら能わず、散歩もできず、熱中症の危険に晒されながらではお天道様の下で昼間から楽しく酒を呑むこともできない。希望に満ちた私の「日のくれぬうちに」は、今や生活の枷をなんとか取り払い、猛暑の辛さをやり過ごすための悲しいお題目と成り果ててしまった。

こんなことでは、あの日このポストカードと出会って透き通った感動を得た私にも、この言葉をポストカードにしてくれたまだ見ぬ「たつろう」さんにも申し訳が立たない。

せめてお題目ではなく、前向きな祈りの言葉にしたいものだ。日のくれぬうちに、今日もきちんと仕事を終えられますように。日のくれぬうちに、今日もちょっとだけ楽しいことができますように。

そして日のくれぬうちであってものびのび過ごせる秋を、すこやかな心身で迎えられますように。

みなさまも、お身体どうぞご自愛ください。

コメント

  1. 「そのうちより 今のうち」という歌詞の歌を思い出しました。過ごしやすい季節まで、心身に優しくまいりましょう。

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  2. せめて雨のシャワーがあればねえ。お酒とともに蒸発してしまいそう。

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