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そういうタイミング

 この三連休は、ほとんど家にいた。 買い物がてらの散歩はしたが、 一日中外で遊びまわっているということがなく、パソコンに向かっている時間も多かった。 家でパソコンに向かうことができるようなタイミングになったのだ。 分かりやすく言えば、夏くらいから「同人誌作りたくない期」だった。 スランプなんて仰々しいものではない。 私は同人誌にそこまでの熱をかけていないので焦りというほどのことはなく、 これはむらくもやま日記向きの話題かなと思い、書き留めておくだけのものだ。 原因をもっともらしく挙げるとするなら、わかりやすいのは仕事だろう。 基本的には、休日の遊びは遊び、平日の仕事は仕事で切り替えられるような、薄給ながら気楽なサラリーマンをやっているのだが、 今の部署に新しい仕組みを導入するにあたり、昨年末からずっと一人で社内外で調整を求められる地味な負荷がかかり続けている。 ついでに目の前には「そういうの許されるんだ……すごいな」と感じる不毛なやり取りが毎日繰り広げられていて、ずっとこれが続くのだろうかと、くさくさしてもいて、そういう積み重ねがフィジカルやメンタルや創作関係のアウトプットにまで影響したような気がする。 もちろん自分が意識しない複合的な要因もあっただろうし、単純に「疲れちゃってた」で済ませるのが案外近いのかもしれないけど。 夏くらいからよりその感が強くなり、 もともと書かない小説をひねり出さないのはもちろん、 noteに書き溜める長文日記のテンションにもなれないし、 パワーポイントも職場でずっとスライド作ってるせいか、家でいじる気は起きず、食べ物ネタや写真はあるのに、ペーパーのデザインすら、納得できる感じのが浮かばない。 こなせたかもしれないプライベートのタスクは無視していた。 「余裕を持ってこのくらいやっておいた方がいいこと」と自分が設定したタスクなので、できなかったところで誰にとがめられるわけでもないし、楽しいことは他にいっぱいあるので(ああ、無為に過ごしてしまった)なんてしょんぼりすることもなく、つまり困らないんだけどね!タスクをこなせない自分にちょっとがっかりするだけで。 おいしいご飯を食べ、散歩に行き、ボードゲームを遊び、旅行をし、イベントで交流し、インプットとしては別段問題はない。 人と会う予定が入らなくても、一人遊びの候補は色々とある。 その一...

どこかでお会いしましたかオブザイヤー

またずいぶんと間があいてしまった。 仕事で色々あって怒りのデスロードをひた走っていたので、自分のご機嫌とりに腐心していたら他のことが大変おろそかになっていた次第。 ご機嫌取りといってもかわいいもので、 世界陸上開催中の国立競技場を冷やかしに行ったり、 近所でキャロットケーキ&チャイというゴールデンスパイスコンビのポップアップが開催されたのでぷらんと遊びに行ったり、 キャロットケーキが大集合するというので母と川越まで遠征に行き、のんびりランチしていたせいで敗走したり(到着してまもなく売り切れた)、 好きな建築家の展示を見に行ってから渋谷ストリームを探検したり、 気になっていた写真家の展覧会を見に行ったり、 BL創作の祭典へ仕事全無視で一般参加したり、 あ、けっこう遊んでんな とはいえ「ブランドバッグを買うザマス」みたいな発散の仕方ではないので健全というかなんというか こないだの週末は里芋をまるまる一袋全部、唐揚げ粉をまぶして揚げて食べ尽くすという暴挙に出て大満足したのであった。 思いつくままにふらふらとあちこちに顔を出して、知らない人とおしゃべりしていると「あれ、もしかして」と言われる率が高い。 もしかして、どこかでお会いしましたか? いや初対面です! 馴れ馴れしくてすみません、あとアレです共通の話題を探すのが得意なんです外ヅラだけはいいので!! と、急に早口で言い訳しながら後ろずさる日々でもあった。 一人のひきこもり時間が絶対に必要な生き物ではあるが、知らないだらけのただなかに飛び込むのは結構好きだ。遠くに行かなくても旅気分。誰も私を知らなくて、はじまりしかない。これはこれで心地良い。 はじめてのものとたくさんぶつかって、回路がバチバチつながる感じがする。 そんなかんじでワクワクしていると、「あれ、もしかしてどこかで」が発生するのである。  そろそろ受賞できるんじゃないか、どこかでお会いしましたかオブザイヤー。

のっかったっていいじゃない

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第11回TAMAコミ(オリジナル作品の販売イベント)に出店サークルとして参加してまいりました。 ブースはひじきさんのお隣。初めて参加するイベントで、こんなに大変心強いお隣さんもそうない。 参加サークル数は450強だったらしい。会場にはキャラデザコンテストやオリジナル缶バッジ&Tシャツ制作ブースを始めとした様々な「+αのお楽しみ」が用意されていた。サークル参加をしている身でそれら「お楽しみ」を味わうには、一時的に自分の販売スペースから離れなくてはいけない(=販売機会を放棄しなければいけない)。……のだけれど、なにしろゆったりとしたイベントであったものだから、「まあいいか、今日は私の楽しみを優先しましょう」と無理なく思考を切り替え、なんの憂いもなく販売機会を放棄して様々のお楽しみを享受することができた。 それも親しく頼もしいお隣さんあってのこと。こういうイベントに出店するとき、私は大抵ひとりだったのだけれど、お友達と示し合わせてゆくのも大変楽しいものですね。 TAMAコミに参加したならばぜひ食すべきと名高いマネチキ(唐揚げ)もしっかり堪能してきた。 見た目は衣しっとり系なのだけれど、齧れば薄い皮がパリっと音を立てる。味付けは醤油系? コンソメの気配もややあった気がする。かなり濃いめの味わいで、調味料など何もつけなくてもぱくぱくと食べてしまえた。腹がくちくなり、塩分もしっかり補給できるので、かなりイベント向けな一品だ。 ひじきさんと1カップずつマネチキを手にし、自分のブースでお喋りに興じる。そんな中、ひじきさんが最近は麻辣湯(マーラータン)にハマっているという話を聞いた。ならばイベント後、ふたりで麻辣湯を食べませんかと誘ったのは、私だったと記憶している。 麻辣湯。 最近なんだか流行っているらしい、中華系旨辛春雨スープ。 それが私の中の、麻辣湯の認識であった。 TAMAコミ開催の地たる東京はJR八王子駅の周辺を探ると、駅から徒歩5分ほどの場所にチェーン店ではなく、かつ評判もよい、麻辣湯の店があるらしい。……ということで、イベントの終了後に食べてまいりました。 取っ手の近くに「押引」と張り紙がしてある、どっちつかずなガラス扉を押し開けて入店。 店内には野菜、魚介、肉、なんだか馴染みのない練り物のようなものなど、様々な食材が小ぶりな食缶にて陳列されていた。 この素材たちをビュッ...

知るための軽さ、二つ名の妙

ひとつ前の草群さんの日記を読んだ後、ご本人の言いたいこととは、ずれるかもしれないが、 軽さを失いたくない と思う……いや、願う……いや、んーと、恐れることが、私には度々あるので書いておくことにした。 むらくもやま日記におけるひじきの二つ名は 「肩書の多すぎるアクティブ趣味人」 である。やまおり亭さんが付けてくれた。 「肩書」というと、大家、権威、専門職、ここでいえばマニア的一家言があるくらい突き詰めている印象がある。 確かに私は人様にマニアだとラベリングされることも、きっと少なくない。 ジャガイモのひじきさん フィナンシェのひじきさん 私よりすごい人、上には上の専門家がいることは存じ上げているので、なかなか畏れ多いことではあるが、周囲と比べて尋常じゃない数をこなしている自覚はあるので否定はしない。 たぶんね、向き合い方が、不器用というか過剰なのよね。 気になったら、知りたくなる。調べられることなら概要をつかむところまでは情報を入れたいし、好きを標榜するならなおさら実際見て比べないと分からないし、自分の言葉で語るなら体験としての数が必要じゃんという欲望のままにガッとこの身に吸収させる。そして数をこなすうちに情がわいて、ずるずると付き合ったりする。 私がこういう姿勢をしてしまいがちというだけで、わからないまま好きって軽率に言っちゃいけないのかよといえば、そんなはずはない。私だってマニアになりたいわけではないし、出会った直後のなんかよくわからんけど好きというスタンスのままでいれたら楽でいいのにと思ってるよ。 摂取方法がこうなもんだから 肩書っぽい呼ばれ方をするようになり、 で、その肩書が「多すぎる」 マニアというとその道一筋何十年というイメージがあるが、 「(ひじきは)初対面の人に一言で紹介するには情報が多い」と友人に言われるくらい、足を突っ込んでいるものが色々あると思われている面もある。 クイニーアマンのひじきさん リンゴのひじきさん ボードゲームのひじきさん ウツボカズラのひじきさん ヤクザ映画のひじきさん 前述したように向き合い方が過剰なせいでマニアっぽく見えるのだが、 その実、我が身は浅く、いまだ軽く、 知らない世界を見てみたい という好奇心の赴くままに 「アクテイブ」につっこんでいくからだ。 図書館のリクエスト履歴がその時によって「瓦」で埋まったり、「粘菌」で埋...

マニアの素質

なにかひとつのことを突き詰める、というのが私にはとても難しい。 追い込むとか、追究するとか、決まったものにエネルギーを注ぐというのが万人にできるわけではないのだと、己の性質と向き合うにつれ身にしみてわかる。 できないのだ、深く執着することも、その執着を持続することも、とことんまで知りたいと思うこと自体ができない。 長子だから自ずとブレーキを踏みがちなんだろうとか、理系の教育を受けてきたことで視点のバランスを取ろうとするんだとか、もっともらしい理由をつけることはできるが、端的にそこまでの興味がもてないんだと思う。なんか好き、なんかいいと思う、あー楽しかった。それがすべて。とことん研究職には向かないと卒論修論のときに思い知ったものだが、いかに己が現場向きか、仕事はもちろん趣味や遊びのときも日々感じている。 だってもう、身の回りにプロとかマニアがあまりに多いんだもの。 仕事柄、漫画家や小説家、イラストレーターといったクリエイターと接することはとても多いし、趣味で物書きをやっていると同様にいろんな面白い人と関わり合うことになる。 広く浅く、全体を大づかみに把握するのは立場上大切なことだし求められる方向性を肌感覚で捉えるのも得意、応答がはやいのでズレが生じた場合もぱっと修正できる、 しかしこの軽さに不安を覚え、コンプレックスを感じるのも事実。 怖がりなんだと思う。 執着して、失うのが怖い。私個人では動物は飼えないと思う。不慮の事故や病気にかからない限り人間のほうが長生きする、ということは先立たれるのが確定していて、失ったときに「ちゃんと愛情を注げなかった」と後悔するのが見えている。その後悔が怖い。外に向く矢印があまりに弱い、そのことがわかっているから、相互に深く踏み込むことに強い抵抗を感じる。 以前、創作メインで星占いしてもらったときに「糸の切れた凧」「空中戦やってる」「でもなんだかんだちゃんと帰ってくる」「なぞの辻褄合わせ力」みたいなことを言われて、なるほどなあと思った。プロとかマニアって、しっかり根っこを張ってるイメージなのだが、私は凧なのである。かろうじて糸でつながっていて、誰かが握っててくれるからぎりぎり飛んでいられるのだ。 こころもとないねえ。 こんなことを言い出すなんて、夏の疲れが出ているわ。 そう、実はこのところ、土日に台湾行ったり、日曜に作家対応で店舗に出動し...

なにか「よいこと」

 創作企画者雑談(仮)というスペースにゲストとしてお呼ばれし、いそいそと出向いて雑談をしてきた。私自身のことから、主催しているイベントのこと、発起人をつとめているお店のことなど……とりとめもなくなってしまいそうなお喋りを、スペース主催のうぉんうぉーさんがきちんと整え、導いてくださった。1時間くらいの配信。アーカイブもあるので作業のお供にでも聞いて頂ければ幸いです。 とはいえ、おふたりにとっては、ご飯の席で聞き覚えのある話ばかりかもしれないけれど……。 さて。 先週の日曜日に、大学時代の後輩が主宰している劇団のお芝居を見てきた。(劇)ヤリナゲの新作で、タイトルは『新しい国家のための緩やかなる反抗』だ。 こんな感じのお芝居でした。 この劇団のお芝居に行ったのは2回目で、初回の話はこの交換日記の「 言語化欲 」と題した日記に書いている。 今回もとてもゆっくりしたお芝居だったのだが、加えて、「息を潜めて役者の動向を見守らされているなあ、今まさに」と感じる瞬間がなんどもあった。 最初は「息を潜めて役者の動向を見守らされていると感じる瞬間がなんどもあってよかった」と書いていたのだけど、書きながら、「それって本当に “ よかった”のか?」と疑問が出てしまい、「よかった」を削除した。 改めてじっくり考えてみると、お芝居において「息を潜めて役者の動向を見守らされているなあ、今まさにと感じる」ということそのものが、私にとってはなかなかに物珍しい体験だったのだと思う。「見守らされている」と、お芝居を見ながらリアルタイムで感じたのは初めてではないかしら。それが、最初に出てきた「よかった」の本当の中身であるようだ。 作品の感想を書いていると、感じたことをなんでもかんでも「よかった」に収束させてしまいがちだなと思う。感情が生まれたことを無批判に「よいこと」と見做してしまうというか。お金なり時間なりをかけて作品を体験したのだから、なにか「よいこと」を感じたのだと思いたい気持ちがあるのかもしれない。 前回の日記「言語化欲」で、私はこんなことを書いていた。 ずっと考えていると「もしかして、おもしろかったと思い込みたいだけで、本当はそんなにおもしろくなかったのか?」という悪魔の囁きすら聞こえてくる。いや、でもね、本当におもしろかったんですよ。自分の中で理屈を通せないだけで。 ~中略~ 理屈を通...

家の守り

 先日のむらくもやまの朝会は牛乳を飲み比べて、オクラホマミキサーロボが巡回するココスでのおしゃべり、楽しかったですね。 またやりましょう。 ヤモリを飼い始めて10年目になる。 初めて飼ったヤモリは「みよしさん」というニホンヤモリで、今も我が家で存命である。 お迎えしたときにはすでに産卵経験のある成体の雌だったから、ニホンヤモリの寿命で言えばもうかなりおばあちゃんなのだが、気が強く食欲があり元気で何よりだ。 他にも、 ・ペットヤモリの代表格レオパことヒョウモントカゲモドキ(レオパードゲッコー) ・鳴き声がトッケイトッケイと聞こえるトッケイヤモリ ・手のひらサイズなのに恐竜みたいにかっこいい姿のヘルメットゲッコー ・黒い体に赤い瞳、ポケモンで言えばブラッキーカラーのハイナントカケモドキ がいる。 保温性の高いヤモリ棚に個体ごとに水槽を並べて、それぞれの生息環境を管理している。 爬虫類の中でもいっとうヤモリが好きなのだ。 ヤモリには壁に張り付く樹上生と、地面に暮らす地表性がいて、 壁チョロと呼ばれる、草群さんややまおり亭さんの家の近くにも住んでいるニホンヤモリのあのシンプルなシルエットが私にとっての至高だ。 トッケイヤモリはニホンヤモリを何倍にも大きくした形で、水色の肌にオレンジの水玉、金色の目というオモチャみたいに派手なカラーリング、こっちがヤクザ映画を見ていようが構わず鳴き始めるアラーム音みたいなよく通る声がいい。7回連続した鳴き声を聞くと幸せになれるという東南アジアの言い伝えがあるが、季節によっては10回以上連続を1日に何回も鳴くので私にはかなり幸せがあふれていることになる。 ヒョウモントカゲモドキは、ペットとして普及しているだけあって体の模様と顔立ちが千差万別。迎えるにはかなり吟味した。基準は「目がでかい美人」かどうか。繁殖を考える人はモルフと呼ばれる血統を基準にお迎えする人も多いが、私は顔で選ぶ。もう亡くなってしまった初代が少女漫画みたいに目が大きくて鼻先が丸い子で、私の未熟さえゆえ長生きさせてあげられなかった心残りもあり、ずっとその子の影を探してペットショップや販売イベントに行くたびにヤモリの顔を見てきた。今年の1月、心を決めてお迎えした子には「純子」と名付けた。任侠映画のアイドル的存在藤純子からだ。 ちなみに、ハイナントカゲモドキはちいこいベビーから...