通じないおしゃべり

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文学フリマ東京40が終わり

ゲームマーケット2025春が終わり

5月が終わろうとしている


にぎやかな祭りの中を元気に駆け抜けた記録を書きたくなりがちだが、今日は関係ない「通訳」の話でも。


私は通訳になってしまうことがある。


外国語のではない。

残念ながら外国語は一切できないので。


日本語の通訳である。


何を言っているんだ?


私もそう思う。

でも、


Mという人物とIという人物がいて


嫌い合っていない、むしろ遊び仲間としてつるむこともちょいちょいある


そんな間柄なのに


お互いの言っていることが理解できなくて、首を傾げるという現象が実際に起こっている。


主義思想の違いとかそういう高尚なすれ違い以前の問題である。

純粋に、何を話しかけられたのか読み取れないのだ。


私はMともIとも親しい仲であり、

それぞれと知り合った直後から

Mの言葉選びもIの話したい趣旨も理解できた(と思っている)


だが、MとIは10年以上親交が続いている今でも、

2人で話すと話が通じない。


MはIに何かを質問されたり話を振られると、

顔いっぱいに「???」を浮かべて、私の方を見る。

「~ということだと思いますよ」と補足説明をすると、

「ああ!」と伝わる。


I「ちょっと、ひじきさん、こいつどうにかして」

M「ごめん」


で、Mが話し始めると

今度はIが「待て、それは何が言いたいわけ」と苦笑する。

M「だから~」

I「わからん」

ひ「Mさんは、~のことを言ってるんだと思いますよ」

M「そう!」


これを通訳と呼ばずしてなんとしよう。


多分、二人とも説明しているつもりでちょっとずつ言葉が足りなくて、でもその足りなさのジャンルが違う。

そこを補う文脈が私には苦も無く見えるが、互いには大きな虫食い穴になっているのだろう。自分から遠い部分だから、ピンとこない。


なので、3人でいると間に立って、役に立っている感じがして楽しい。


職場でも、会議の中で通訳になることがある。


「●●さんの今の話は、~ということですね」「さっきの△△さんの意見とはこの点が共通ですね」と、まとめていると


(はーそういうことだったのか)という反応が伝わってくるのだ。


みんな日本語しゃべってるのにね。


「いまのでよくわかったね、俺全然わからなかったよ」と言われると、


ああ、通訳してしまったと思う。


ある程度の時間を過ごしていると、人柄や話のクセに慣れてくるから、比例して理解度も深まりそうなものだが、


これも聞き手の特性によるところもあるかもしれない。


私は


人の話を聞くのが嫌いじゃないし、


自分が悪感情を持たれたくないから人の顔色をうかがいがちな面と、


ちょとした言葉の違和感に敏感なところがあると思う。


顔色をうかがうというのは、ネガティブな表現だが、


怒られるのが怖くて人当たりのいい(ある意味では)優等生のまま大人になってしまったので、

この人はどうしてこの言葉を発しているのか、この場の空気はどうかというのを、気にしてしまう。

(ま、気にするのと取りなすことができるのは別の能力だけど)


違和感については、

これまでの経験ではこの人はああ言っていたのだが、それと照らし合わせると今回の場合は、みたいなことに気づく。


たとえば、


いままで「パートナーの両親」という言い方をしていた人が、次会ったときは「義理の両親」と言っていたので、

報告は聞いてないけど入籍したのかなと想像するみたいなことを、日常で自然と行っている。


そんな細かくなくても、


説明の主語がない人には、この言い方は主語はあれかなとか、


カタカナ語を間違えて言ってしまう人なら、今のがヒントだとして正解はこの言葉かとか、


クイズのように判断している。


もちろん的外れなこともあり全部が正解なわけではないが、


「理解できません(ピシャン)」とシャットアウトしてしまう人よりは通訳になりがち


そういう話だ。


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