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やる気の冷凍保存

夫の実家から、乾燥ミントをわさっと頂いた。 あちらの庭で育てている、というか、生えてきたので活用しているミントを摘み、乾かし、ミントティー約二杯分ずつに小分けしたものだそうだ。 小鍋に水を満たし、一包のミントを入れて煮立たせると、驚くほどちゃんとした「お茶」が出来上がる。温かいままでも美味しいけれど、冷やすとなお美味しい。冷たさとメントールの相乗効果。 最近はコレをほぼ毎日、煮出して飲んでいる。かなりたくさん頂いたのに、八月が終わるのを待たず使い切ってしまいそうだ。どうしよう。もうコレなしの夏は考えられそうにないというのに。 こうなったら、我が家でも育てるしかない。ミントを。 庭仕事にことさら明るいほうではないけれど、植物を育てた経験がないわけではない。数年前から可愛い欅の盆栽と暮らしているし、小さな前庭付きの賃貸に住んでいた頃は、プランターで大葉を育てた夏もあった。 ミントというものはとても丈夫で、どんな環境でもおおよそ問題なく生き伸びられるのだと聞いている。うちのささやかなベランダでもしっかり育ってくれるはずだ。 しかも調べたところ、ミントは冬に枯れたのち地中で越冬し、翌年の春にはまた新芽を出すのだそう。なんと経済的なハーブなのだろう。 と、盛り上がったところで、そんなミントの唯一と言ってもよい弱点に行き当たった。 「真夏の植え付けはNG」 なんということだ。 自分で声高に言うものでもないが、私はかなりの飽き性である。ミントティーのためにミントを育てたいというこの心を、夏が終わるまで持続させることができるだろうか。 しかも今、どうせ新しく土を買うなら大葉も再開したいという欲が出ている。 大葉は一年草なので、植え付けシーズンである春にしっかり用意をせねばならない。であればミントもそのタイミングで一緒に植えてしまったほうが効率的であろう。となると、いずれも植え付けは来年の四月、か……覚えていられるかな……。 とりあえずカレンダーに予定は入れたが、文字情報だけで現在の「ミントティーを気兼ねなく、ひと夏じゅう、たっぷり飲みたい」という気持ちを保ち続けるのは難しいかもしれない。 そこで考えた。美味しい美味しいミントティーの素、もとい乾燥ミントを一包だけ冷凍しておくのはどうだろう? それを来年の春頃に飲み、ミント育成へのやる気を養う。やる気の冷凍保存だ。 我が家の...

混然一体、有耶無耶に

 雨の日が増えてきましたね。梅雨らしい梅雨は数年振りであるような気がする。 見知った四季の一片を久々に目の当たりにしたと気づき、ほっとしたような、地球環境の変化が恐ろしいような。このまま、ほどよい気温の夏を迎えられるとよいのだが。 さて、雨だからというわけではないが、最近、ジムのトレッドミルでハムスターになっている。 トレッドミル(いわゆるウォーキングマシンだけれど、私が通っているスポーツジムではこういう洒落た表記になっている)って、散歩の下位互換だとずっと思っていた。 何故なら私にとっての散歩とは、その楽しさの多くを「景色の変化」が占めているからだ。 歩くという行為だけ捉えれば、散歩もトレッドミルもやっていることは同じだろうと思われるかもしれない、だが日々の天候に合わせて気楽な衣服を選び、頬で風の具合を感じ、道端に生える草木や店の軒先の、こまごまとした移ろいを眺めながら、気ままに移動することこそ、散歩の醍醐味というものでしょう。 それを貴方。ジムの白い壁と、視界の隅にちらちらと入ってくる赤字の「火災時の注意」に関する文言をじっと睨みつけながら、ただただ足を動かすだなんて。そんな歩行、ちっとも楽しそうではない。 歩くことそのものも、決して嫌いではない。ないけれど、まあ同じだけの時間があるならば私は外を歩きますので、あえて室内でハムスターにならなくてもいいかな……と、そう思っていた。 そんなことを考えていた私が、どうして宗旨替えをしたか。それはポッドキャストを聞くようになったからだ。 もともと、今年のウィッシュリストに「お気に入りのポッドキャストを見つける」という項目を立てていた。自分で探したり、人からおすすめしてもらったりして、めでたくいくつかの「お気に入り」を継続視聴している。 新しく生活に入り込んできた、この楽しいポッドキャスト習慣だが、散歩との相性はあまりよろしくない。景色を見ていると耳が疎かになるし、耳に集中すると交通事故が心配だ。だからといって、部屋でじっと他人のお喋りに耳を傾けていると、どうしても眠くなったり、ちょっとした雑事の処理に着手したりしてしまって、どうも集中できない。 そこで、景色がまったく変化しない室内で、安全に延々と歩くことができる、トレッドミルに白羽の矢が立ったわけである。 次に聞きたいものを一、二本ほどスマホにダウンロ...

種は蒔いている

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 文学フリマ東京42、お疲れ様でした。 むらくもやまの三人のうち、「くも」と「やま」の部分は出店して『むらくもやま日記3 あめあがり』を販売し、「むら」の部分は一般参加で打ち上げから合流してくれた。 打ち上げは、ひじきさん経由で知り合った方々と一緒に。ペンネームやSNSのアイコンには見覚えがありながら、生身で会うのは初対面という方もちらほら。けれど、そこは「書く」「読む」という共通の趣味を持つ大人同士、あっという間に打ち解けてしまった。 私は場で熱く語られていたプロジェクト・ヘイル・メアリーにまんまと興味をそそられ、読みかけだった原作小説にふたたび手を付け始めています。 次回の文学フリマ東京は、今年の十一月開催。こっちは(全員の諸々が首尾よくゆけば、おそらく)むらくもやまの三人ともが出店者として参加することになるのではないかしら。 それまでに、なんとか新刊を捻り出せるとよいのだけれど。 久々の大規模なリアル即売会。会場でいつも本を買ってくれる常連さん方が、口を揃えて「書き続けてくださいね!」「新刊も待ってます」とエールをくだすったのだ。待ってくれている人がいるありがたさを噛みしめると共に、最近は新作小説を発表していないものだから、見てくれている方々にちょっとした不安を与えてしまっていたのだろうか、と、やや申し訳なく思ったりもしている。 新刊の種はね、いろいろ蒔いてはいるんです。あとちょっとだけ待っててね。 会場でやる気を、打ち上げで元気をもらった文学フリマ東京42。さて次に向けて新作をと考え始めたとき、ふと「コンセプト」という語が浮かんだ。 この言葉が意識に上ったきっかけは、文フリ東京の一週間ほど前にある。 四月の末、私は『つくってるとちゅう展』という展示会に出展していた。「むしろ、つくってるとちゅうが面白い」というキャッチコピーのもと、様々な分野のクリエイター5名が集結し、それぞれの「とちゅう」を展示するという企画だ。 写真、ビスクドール、ニット、立体造形を手掛ける作家さんたちのお隣で、私は『ぶんぶくふくぶん』という短編集を作ったときの「思考の途中」を展示した。 この企画、かつて吉祥寺にて文芸同人誌のシェア型本屋を運営していたときのご縁でお誘いいただいたのだけれど、蓋を開けてみれば私以外の人間は全員が美大卒、および現役の美大生だったようだ。道理で皆、展示慣...

この春の標語

ひじきさんが『むらくもやま日記』の第三弾発行に向けて、さっそく動き出してくださっている。なんて仕事が早いんだ。 表紙はいつも草群さんが素晴らしくかわゆくしてくださっており、本文とコメントの流し込みは、前回から引き続き、ひじきさんがご担当くださっている。前回のやまおりといえば、自分の書いたもののチェック以外は、ベン図のページと各種あとがきのドラフト書き込み場を用意したくらいで、あとはお二人におんぶにだっこだった。 というか草群さんとひじきさんの仕事が早すぎて、うかうかしていると担当者の決まっていない細かな作業のすべてを掻っ攫われてしまう。ありがたいことだが、頼りすぎるとダメになってしまいそうな危機感を覚えるタイミングもあったりして……今回は自分の書いた本文のチェックをもりもり終わらせて、細かいパーツの準備をできるだけ巻き取ってゆきたいところ。 気合いは十分だが、各々が大人であるがゆえに、そのキャパシティには個人差がある。己の力ではどうしようもできない忙しさが、思わぬところからやってくることもあるだろう。 お互いに、無理は禁物。しかしできるところから積極的にやってゆこうと、気持ちを新たにする春の初め―― ここ数日、ObsidianのDataviewというプラグインにいきなりハマっている。 Obsidianというのは、簡単にいえば、メモ帳アプリのちょっと機能が多いやつだ。この機能の多さを支える要素のひとつが、「プラグイン」である。プラグインというのは、ざっくりいえば機能拡張パックのこと。好みのプラグインをObsidianに追加インストールすることで、アプリをかなり自由にカスタマイズすることができる。 そんなプラグインのうちのひとつが、「Dataview」。このプラグインをインストールすると、取ったメモをいろんな切り口で抽出したり、並び替えたりできるようになる。 季節の変わり目にタスク管理の方法をちょっと精査しようかな、なんて思い立ったのが、ことの始まり。気づけばこのプラグインで様々な「ちょっと便利そうな仕組み」を組み立てることに、かなりの時間を使ってしまっている。 この楽しい楽しいデジタルの積み木に費やした時間を、もしタスク消化にあてていたならば、どれほど大きな進捗を生み出すことができただろうか。概算をし出したところで考えるのをやめた。 こんなに面白いおもちゃが手元にある...

ホームの美術館

 年が明け、一月末をもって私の主催していた文芸同人誌のシェア型本屋・招文堂が閉店と相成った。きちんとしたご挨拶はしかるべき場所にて公開する予定なので詳細は割愛するが、やりたいことをやりたい放題やらせてもらったため悔いはない。 店ではひじきさん、草群さんもともたびたびお喋りし、楽しい時間を過ごさせてもらった。大切な思い出をありがとうございました。 そんな中、閉店の二日前に、ずっと気になっていた作品展へ行ってきた。 武蔵野市立吉祥寺美術館の、 『所蔵作品展 版画の魅力 技法の共演』 だ。 吉祥寺美術館は、吉祥寺の街中も街中、商業ビルの七階に存在する。今回の作品展の看板も街中の、よく歩く大きめの通りのど真ん中に出ているものだから、生活の中でその看板を目にするたびに「やってるなあ」と横目で見ていた。「行きたいなあ」とも思っていた。 この場で語ったことがあるかどうか覚えていないのだけれど、私は吉祥寺美術館に常設展示されている、浜口陽三という作家さんのお作が大好きだ。そして氏は、銅版画をたくさん制作している方なのである。所蔵作品展の作家リストには当然のように「浜口陽三」の名があり、吉祥寺美術館のWEBサイトでは私が氏に心惹かれる切っ掛けとなった、『19と1つのさくらんぼ』という作品の展示もほのめかされていた。 『19と1つのさくらんぼ』は氏の作のなかではわりと大判で、常に展示されているわけではない。表に出ているなら、ぜひ見たい! そうは思いつつ、きっと閉店にかかるアレコレの忙しさにかまけて行かずじまいになるのだろうと思っていた。 だが、ありがたいことに関係者各位のスムーズなレスポンスのおかげで事務処理やお手続きがサクサクと進み、先述した閉店二日前の夕刻、ぽかりと時間が空いたのだ。 件の美術館はやや小ぶりで、二時間もあればすべての展示作品をとっくりと眺めることができる。今なら行ける。 そんなわけで、別件での外出の帰り道、冬の日がすっかり傾いた五時過ぎに滑り込んできた。 今回の作品展のタイトルには「技法の共演」とある。その名の通り、この作品展は、いくつかある版画の技法のそれぞれを解説する映像からスタートした。おや、シルクスクリーンについての説明もある。草群さんお手製のトートバッグはこういった手順で刷られたのかと感慨深く映像を見通した。 なんとなくだが知識を入れ、いざ作品展へ...

あっという間に

 師走である、どころか年の瀬を迎えようとしている。 前回のひじきさんの日記は11月4日のもの。その日記で触れられている文学フリマ東京41に私も参加し、終了後は打ち上げにもお誘いいただき、芋など鶏など楽しみ……それが11月23日のこと。 そこからさらに1か月も経とうとしているではないか。なんたることだ。道理で最近、この日記の記事更新メールが送られてこないわけである。すっかり順番を勘違いしておりました。 この空白期間に何をしていたかというと、店仕舞いの支度をしていた。私の主催する文芸同人誌に特化したシェア型本屋・招文堂を、2026年1月末でもって畳むことにしたのだ。 先の文学フリマにはこの「招文堂」名義で参加し、店仕舞いにかかるエッセイ『招文堂てんやわんや 来年1月に閉店するシェア型本屋主催の17日間』を、フリーペーパーとして持ち込んだ。主宰文芸誌『おまねきvol.4 まぼろし専門店街』の販売もつつがなく開始。この『おまねき4』、表紙のデザインご担当は草群さんだ。その節は大変お世話になりました。 さて。 そんなこんなで未だバタバタとしつつも、水面下では『むらくもやま日記』の2冊目を発行する計画がちゃくちゃくと進んでいる。年明けに開催される文芸同人誌即売会、「もじのイチ#3」で発売となる予定だ。 加えて私はその「もじのイチ」に自身の新刊を持ちこまんと原稿に勤しんでいるし、来年秋に開催予定である主催オンライン即売会・紙本祭8のサークル参加申し込みも年内に開始する予定だし、積読はさすがにもう少し崩しておきたいし、来年こそなんらかの小説を公募に送ってみたいし、編みかけの靴下も編み上げたいし、最近は腹巻も編みたくなっている。 店を畳むのは寂しいながら、畳めばおおいなる暇が手に入る。そのつもりでいたのだが……捕らぬ狸の皮算用に終わらぬことを祈るばかりだ。とらたぬ、とらたぬ。

のっかったっていいじゃない

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第11回TAMAコミ(オリジナル作品の販売イベント)に出店サークルとして参加してまいりました。 ブースはひじきさんのお隣。初めて参加するイベントで、こんなに大変心強いお隣さんもそうない。 参加サークル数は450強だったらしい。会場にはキャラデザコンテストやオリジナル缶バッジ&Tシャツ制作ブースを始めとした様々な「+αのお楽しみ」が用意されていた。サークル参加をしている身でそれら「お楽しみ」を味わうには、一時的に自分の販売スペースから離れなくてはいけない(=販売機会を放棄しなければいけない)。……のだけれど、なにしろゆったりとしたイベントであったものだから、「まあいいか、今日は私の楽しみを優先しましょう」と無理なく思考を切り替え、なんの憂いもなく販売機会を放棄して様々のお楽しみを享受することができた。 それも親しく頼もしいお隣さんあってのこと。こういうイベントに出店するとき、私は大抵ひとりだったのだけれど、お友達と示し合わせてゆくのも大変楽しいものですね。 TAMAコミに参加したならばぜひ食すべきと名高いマネチキ(唐揚げ)もしっかり堪能してきた。 見た目は衣しっとり系なのだけれど、齧れば薄い皮がパリっと音を立てる。味付けは醤油系? コンソメの気配もややあった気がする。かなり濃いめの味わいで、調味料など何もつけなくてもぱくぱくと食べてしまえた。腹がくちくなり、塩分もしっかり補給できるので、かなりイベント向けな一品だ。 ひじきさんと1カップずつマネチキを手にし、自分のブースでお喋りに興じる。そんな中、ひじきさんが最近は麻辣湯(マーラータン)にハマっているという話を聞いた。ならばイベント後、ふたりで麻辣湯を食べませんかと誘ったのは、私だったと記憶している。 麻辣湯。 最近なんだか流行っているらしい、中華系旨辛春雨スープ。 それが私の中の、麻辣湯の認識であった。 TAMAコミ開催の地たる東京はJR八王子駅の周辺を探ると、駅から徒歩5分ほどの場所にチェーン店ではなく、かつ評判もよい、麻辣湯の店があるらしい。……ということで、イベントの終了後に食べてまいりました。 取っ手の近くに「押引」と張り紙がしてある、どっちつかずなガラス扉を押し開けて入店。 店内には野菜、魚介、肉、なんだか馴染みのない練り物のようなものなど、様々な食材が小ぶりな食缶にて陳列されていた。 この素材たちをビュッ...

なにか「よいこと」

 創作企画者雑談(仮)というスペースにゲストとしてお呼ばれし、いそいそと出向いて雑談をしてきた。私自身のことから、主催しているイベントのこと、発起人をつとめているお店のことなど……とりとめもなくなってしまいそうなお喋りを、スペース主催のうぉんうぉーさんがきちんと整え、導いてくださった。1時間くらいの配信。アーカイブもあるので作業のお供にでも聞いて頂ければ幸いです。 とはいえ、おふたりにとっては、ご飯の席で聞き覚えのある話ばかりかもしれないけれど……。 さて。 先週の日曜日に、大学時代の後輩が主宰している劇団のお芝居を見てきた。(劇)ヤリナゲの新作で、タイトルは『新しい国家のための緩やかなる反抗』だ。 こんな感じのお芝居でした。 この劇団のお芝居に行ったのは2回目で、初回の話はこの交換日記の「 言語化欲 」と題した日記に書いている。 今回もとてもゆっくりしたお芝居だったのだが、加えて、「息を潜めて役者の動向を見守らされているなあ、今まさに」と感じる瞬間がなんどもあった。 最初は「息を潜めて役者の動向を見守らされていると感じる瞬間がなんどもあってよかった」と書いていたのだけど、書きながら、「それって本当に “ よかった”のか?」と疑問が出てしまい、「よかった」を削除した。 改めてじっくり考えてみると、お芝居において「息を潜めて役者の動向を見守らされているなあ、今まさにと感じる」ということそのものが、私にとってはなかなかに物珍しい体験だったのだと思う。「見守らされている」と、お芝居を見ながらリアルタイムで感じたのは初めてではないかしら。それが、最初に出てきた「よかった」の本当の中身であるようだ。 作品の感想を書いていると、感じたことをなんでもかんでも「よかった」に収束させてしまいがちだなと思う。感情が生まれたことを無批判に「よいこと」と見做してしまうというか。お金なり時間なりをかけて作品を体験したのだから、なにか「よいこと」を感じたのだと思いたい気持ちがあるのかもしれない。 前回の日記「言語化欲」で、私はこんなことを書いていた。 ずっと考えていると「もしかして、おもしろかったと思い込みたいだけで、本当はそんなにおもしろくなかったのか?」という悪魔の囁きすら聞こえてくる。いや、でもね、本当におもしろかったんですよ。自分の中で理屈を通せないだけで。 ~中略~ 理屈を通...

ピリオドの法則

11年振りに、集団に所属して仕事をすることになった。 所属なんて大仰な書き方をしたが、正しくはやることが少し多いだけのアルバイトだ。とはいえ、ずっとフリーで仕事をしてきた身としては、社内のメーリングリストに取得したての社用アドレスが追加されたり、機材の申請をしたりなんだり……それだけで、なんだかそわそわしてしまう。新社会人になりたての頃のような心地だ。実際、ぴよぴよの新人であるわけだし。この歳になっても新人をやらせてもらえるとは。ありがたいことです。 慣れない作業に追われる中、冬から放置していたウール靴下の続きを編んでいる。 黒いあったか手袋を編むために毛糸を3玉ほど買いにゆき、ユザワヤの魔力によって10玉入りの大袋を持ち帰ったのが昨年のこと。手袋は無事、冬のうちに編み上がったが、余った玉で作り始めた靴下が大変だった。 というのも。当時の私は知らなかったのだが、靴下というのは編み物の中でも、制作に中~上級のスキルを要するチョットムズカシイ衣類であるのだそうだ。履くあてのないミニサイズの靴下を編んだことこそあれど、普段使いすることを前提に人間サイズのものを編むのは初めてで……そんな初心者がわけもわからず編み始めたものだから、それ相応の時間がかかった。最初の片足を編み上げるまでに、覚えているだけでも3回は失敗作を解いている。 難儀しつつも片足をやっつけ、もう片方を編み始め、春めいてきたことを理由に放置して暫し。梅雨が近づくにつれ気温が下降し始めたのをきっかけに、また手を付け始めた。そうして驚いた。 最初に編み上げた片足と比べ、次に編み始めた足の方が、明らかに目が整っているのだ。ありていに言えば上達を感じる。たとえば文章なんかは「ピリオドを打つたびに上達する」と言われたりするけれど、この法則は編み物にも通ずるのかもしれない。たぶん、糸を切るたびに上手くなる。 上手くなると、楽しくなってくる。このまま編み上げると、なんだか片方だけよれっとした奇妙な靴下が完成してしまいそうだけれど……糸始末を終えて水を通すころには、それもまた一興と思えるようになっているだろう。

そういや家には巻き簾があった

鶯がさえずりの練習を開始し、近所のお寺の掲示板に「ボタンが咲きました」との報が張り出されたと思ったら、公園で蝉が鳴いている。どうなっているんだ……。 先の週末はむらくもやまも一度お邪魔した、高円寺の「読夢の湯」さんが主催する「ヨムフリ高円寺vol.5」という同人誌&ZINE等の即売会に出店した。楽しくまったりと、充実した会であった。……のだけれど、少し前のことではあるし、そのへんの詳細は割愛しようと思う。 昨日は吉祥寺の駅前にある、某海鮮系の居酒屋で夕食を摂った。出店100店舗達成のキャンペーンでレモンサワーが1杯100円だというので、これ幸いとお相伴に預からせて頂いたというわけだ。 暑い日が続くとはいえ、暦の上では春。冷たい炭酸のお酒ばかりをそう飲み続けてはいられないだろうという予想に反し、するすると4杯ほどを頂いてしまった。 ここで食べた細巻きがちょっと変わっていて、たくあんとチャンジャを和えたものを芯にしていたのだ。しょっぱくもほんのり辛いたくあんが、薄甘いレモンサワーによく合う。 さくっと1時間ほどで店を出たのち、近くの鮮魚売り場を冷やかしたら、かんぴょう巻きが売っていた。先の店で、舌が巻物づいている。半額であったこともあり、それを買って二次会のつまみとすることにした。 しかし、かんぴょう巻き。最後に食べたのはいつのことだろう。太巻きの中に具材のひとつとして入っているのを、茫と口に入れた記憶はあるのだけれど、味となると……というか、かんぴょう巻きって醤油をつけるものなのかしら? 薬味は? わさび? 手元の端末で調べてみると、かんぴょう巻きというのは江戸前寿司のベーシックなネタであり、海苔巻きといえばかんぴょう巻きのことを指すのが通例であるのだとか。とはいえソースがWikipediaであるし、同記事には「かんぴょう巻きをこれこのように提供するのは野暮だとする説があるらしいが、その理由や真偽は不明である」という旨の文章が頻出しており、これまたいささか茫としている。 つまり、お好みでよろしいということでしょう。ということで、醤油もわさびもつけて食べた。素朴ながらあとをひく甘味と旨味が、そば焼酎に合う。 そんなこんなで焼酎の水割りとともに細巻きをたっぷりと食べ、家にあと3枚だけ残っていたホタルイカの素干し(ひじきさんから富山のお土産として頂いたアレだ)を大事にかじり...

じゃがいもの ポタージュ吹きつ うぶの顔

ひじきさん主催の、「じゃがいも俳句を作ろう」の会に参加してまいりました。 じゃがいもの品種と、5・7の言葉が書かれた3種類のカードを出し合い、俳句を作るというワークショップ。 じゃがいも俳句。かなり前のことだが、その原型となったであろう遊びを、ひじきさんとそのご友人が招文堂に持ってきてくれたことがある。あのじゃがいも俳句が、満を持してワークショップに! しかも開催場所は、高円寺・読夢の湯という本屋さん。ひじきさんの日記「 銭湯に通うように 」にも登場していた、畳敷きの店内に靴を脱いで上がるという、あの面白そうなお店だ。形は違えど本屋を主催している身としては、面白そうな本屋さんなんて気にならずにはいられない。お誘い頂くや否や「参加したいです」と手を挙げていた。 会のスタートは、夜20時。30分ほど前から店の中には入れると聞き、遠慮を忘れて19:30を少し回ったあたりで店の戸口から中を覗き込んだ。 まず目につくのは、まだ青々とした美しい畳。突き当りの壁、天井近くに掲げられた大きな液晶画面。その右隣には首を振りながら我々を見下ろす、羽のあおい扇風機。 その真ん中で私を出迎えてくれたひじきさんは、なるほど、この店によく馴染んでいた。この、建て付けはちょっとマニアックなんだけど間口が広くてほっとするかんじ、ひじきさんとこのお店は、どこか似ているような気がする。 入って左手、少しだけ振り返ったところに番台めいたカウンターがあり、そこにいらした店主さんにご挨拶。こういう会に参加する折、いつも忘れてしまう名刺を、今日はちゃんと持ってきたのだ。 畳に腰を下ろし、ゆるゆると会話をしているうちにメンバーが集まってくる。ここにいる人みな、ひじきさんのご友人なのだから面白い。ざぶとんを譲り合い、めいめい名札を書き、ボールペンを回して……そんなこんなで、会が始まる頃にはなんとなく緊張も解けていた。 思い返せば、こんなにも早く緊張が解けたのは、畳敷きの部屋でひとつの卓を囲むという状況によるものが大きいのかもしれない。見知らぬ人の前で靴を脱いだ心もとなさを携え、ぺたぺたと歩く……どこかとぼけたこの空間で、よそ行きの顔をし続けられる人はそう多くはないのかも。 じゃがいも俳句の細かいところは、今後、実際にワークショップに参加する方々のためにも割愛するとして―― 私が一番面白いなと感じたのは、すでに用意...

バゲットのイデア

先日のむらくもやま会で、「見かけたらつい選んでしまう食べ物」の話になった。たとえば、草群さんにとってのキャロットケーキ。たとえば、ひじきさんにとってのフィナンシェやスープカレーやバインミーを始めとした、各種のしっくりとおいしいものたち。 私にとってのそれは、今のところ、バゲットとバタールだ。とはいえ自分から新種を開拓しにゆくほどの熱量はなく、あくまで見かけたら選んでしまうくらいのもの。白ワインを飲むときのつまみとして、ベビーチーズとともにあったら嬉しいねというくらいの距離感でやらせてもらっている。 などと言いながら大容量の紙パック入り白ワインを嗜んでいるもので、これまでになんだかんだと、6、7店ほどのパン屋でバゲット、ないしバタールを食べてきた。 それだけ食べていれば流石にこれといった「好み」が生まれそうなものだ。実際、特に制約のない状態で買うならこの店、という気に入りもできた。できたのだが、バゲットないしバタールたちの……以降、通してバゲットと称するが、それらバゲットたちの味にかんする己の好みについては、どうにも把握できずにいた。できればクラム(バゲットの皮=クラストではない部分)はフワフワよりモチモチのほうがよく、小麦の味がしっかりあるものがよく、かつ、できれば甘い風味は抑えめがよいけれど、翻って言えばその程度であるし、バゲットたちはどんなものも等しくおいしい。 それがね? つい先日のことです。私、把握しちゃったかもしれない。己のバゲットのイデアを。 きっかけは、スーパーで某有名製パンメーカーが作っているバゲットを買ったことだ。普段から特別贔屓にしているメーカーというわけではなかったのだが、パッケージに「和小麦」「ハード系パンに適した小麦を使っている」旨が記載されており、心惹かれた。 手に取ってみると、いつも買っているパン屋のバゲットと比べても遜色ない重量感。しかして価格は100円ばかり安い。パン屋ではない場所でバゲットを買うのは久々であるから、まずはこれを食して様子を見てみましょう。そういうことになった。 いつも通りに買って帰り、切り分け、軽くトーストし、齧る。 ……あれ? これ…… モッチモチで、小麦の味がちゃんとあり、しかし甘すぎず……なんだか、ものすごくおいしいかも! そも私はバゲットのことを、クラムがモチモチで小麦の味が豊かであればあるほど、甘い風味が...

年始ドラマティック

よかったですね、劇団ドラマティックゆうや「短編傑作選」―― 「劇団ドラマティックゆうや」なる面白いお芝居をやっている集団があり、その面白さといえば草群さんが上演台本を買い求めるほどなのだという話を、最初に聞いたのはいつだったか。 数回前のむらくもやま会だったはずではあるのだけれど、例に漏れずおいしすぎるお食事に脳のリソースの大半が割かれていたようで、どうにも記憶が曖昧だ。ともあれ、むらくもやま観劇ごはん会がしたいねという話が最初に出たのは、その場でのことであったはず。 仕事の早い草群さんと、フットワークの軽いひじきさんが巻き起こす波に乗っからせてもらい、あれよあれよという間に予定が決まったのが昨年末のこと。貸していただいた過去作の上演台本の表紙を――観劇後に読むと決めていたので表紙だけを――眺めつつ、年明けを楽しみにしていた。 今回のお芝居、上演されるはCEKAI大橋会館。最寄り駅は池尻大橋。ひじきさんが太鼓判を押すおいしいパン屋を横目に、駅前の道をまっすぐまっすぐ。駅前商店街の可愛らしいフラッグに目を向けながら歩いてゆけば、趣のあるフードトラックのようなものが横付けされた、レトロなのに不思議と新しい印象の建物が見えてくる。 なんかおしゃれ! いかにも劇場……いや、正式名称はアートギャラリーだったかしら。そういったものがありそうな建物だ。 三人が三人とも、「このメンバーならなんとかなるでしょう」という軽い気持ちで集合していたものだから、劇場への入口がぱっとわからず、ちょっとした階段昇降と施設職員さんとのお喋りなんかも挟みつつ…… 劇場にたどり着く頃にはすっかり喉が乾いていたけれど、まったく都合のよいことに、劇場内のカウンターで買った飲み物は、観劇中にも楽しめるのだそうで。ちょっとめずらしいクラフトビールたちと迷いつつ、瓶のコーラを選んで席についた。 誰もいない舞台上には、スタンドマイクが一本。チケットを取ったあとに、どうやら「なにわシーサー’S」なる漫才コンビの出演が決まったらしいとは聞いていた。最初は「へえ、そうなんだ」くらいの気持ちだったのだけれど、あとからそのコンビが某有名俳優さん二名でもって結成されていると知り、仰天したものである。こんなに近くで拝見してしまってよいのですか? 年始早々おめでたいことだ。 運の良いことに最前列が空いていたものだから、いそいそと...

喉元過ぎれば

遅ればせながらハッピーホリデー! 今年は2つのアドベントカレンダー企画に参加しました。 ▼「辛さを爆破する(したい)食事メニュー表 Advent Calendar 2024」へ寄せて、「すいとん自由形」 https://yamaoritei.com/4140 ▼「一次創作イベント・合同誌主催や創作者に寄与する活動をしている人が1年を振り返る Advent Calendar 2024」へ寄せて、「2024年から2025年|小さなものを集めていく https://yamaoritei.com/4178 これらの記事を持ち出し用のノートPCで書きながら、十二月は引っ越しをした。 新居で段ボール箱をひとつ開けるたびにちょっとした問題が飛び出し、積み上がった段ボール箱をひとつ片付けるたびに下から新たなタスクが掘り起こされる。気づけばせっかく誘ってもらったおいしいパフェの予定を、泣く泣くお断りしなければならぬほどの忙しさだった。これが……師走……! SNSに流れてきたひじきさんのお写真でパフェ感を補給し、草群さんのおうちご飯とお酒のお写真を眺め、次回むらくもやま会への期待を高めながら作業を進める日々。つらい開梱作業の中、おふたりの生活の気配には大変助けられた。本当にありがとうございました。 師を追い越す勢いで走り続け、おかげ様で諸々の片付けも手続きもどうにか目途が立ちつつある。そんな冬の終わり、我が家は赤貝と格闘していた。 赤貝。お寿司のネタや海鮮丼によく使われている、だいだい色と乳白色のグラデーションをその身に宿したあの貝だ。 引っ越したおかげでずいぶんと近くなった某スーパー、そこの鮮魚売り場が夕方の安売りをしていたものだから、「へえ、どんなものかしら」と覗いたが最後――刺身でいけるという触れ込みの大ぶりな赤貝たちが、新居のキッチンにごろりごろごろ、15個も転がることになった。 それもこれも、1盛り五〇〇円だと思っていたものが実は2盛り分の値段であった上、閉店間際であったからか立板に水の店員さんが「赤貝お求めの方ほかにいらっしゃいますか? いらっしゃいませんね? はいそれでは最後の1盛りおまけします~」なんて流れるようにもう1盛りを厚手の青いビニル袋に流し入れ、あっという間に封をして値札シールまで貼ってくれてしまったがためだ。 疲れを溜めた食いしん坊が、ここまでされて断る理由...

2025年の目標は「健康」

 しっかり寝込んでおりまして、図らずも、むらくもやま体調不良リレーのアンカーを務めました。  不調の山を越えたのち、全快には至らぬままに用事を片付け始めてしまったせいか、その後がやけに長引いた。ようやく昨日、おふたりに「元気になったよ」連絡ができるまでに回復し、ほっとしている。その節は誠にご心配をおかけいたしました。  この交換日記を丸一か月とめてしまい、お仕事もガッツリ溜めてしまっているが、季節は冬。風邪(絶対にコロナかインフルエンザだと思ってしっかり検査をしてもらったのだけれど、結果は〝ただの風邪〟であった)をぶり返さぬよう、張り切りすぎに気をつけながら巻き返してゆきたいと思う。  さて、何か日記に書けるようなことがあったかしらと思い返してみる。主催するオンラインイベントがあり、参加する即売会で出す新刊の入稿作業があり……トピックス自体は様々あれど、それぞれ別の場所で記事にまとめる予定がある。なにせ復調のため暇さえあれば横になっていたものだから、プライベートで特筆すべき出来事など起こりようもないのだ。  そんなわけで、最近食べているものの話でもしていこうと思う。  10月の半ば、パートナーのご実家から自家製の里芋をたくさん頂いた。里芋、私にはあまり馴染みのない食材である。美味しいことは知っているが、里芋といえばころころと小さく、表面にはちょっと硬い毛がもっさりと生えていて……あのいかにも調理が面倒そうな見た目から、積極的に買い求めることはなかった。  届いた里芋を見たときは驚いたものだ。自家製ゆえか、土地柄ゆえか、それとも品種ゆえなのか? 私の知っている、関東のスーパーに並んでいる里芋よりずっと大きい。私の手のひらに、二つが乗るか乗らないか……というサイズ感だ。この時点で、「皮を剥く手間」というハードルがぐっと下がった。  そして皮を剥いて、レンジでチンしてまた驚いた。チンしただけなのに、ねっとりホクホク。塩をかけるだけでおいしい! 加熱するだけでこんなにおいしいとは。里芋は煮物にするイメージが強かったが、これは素材の旨味だけでじゅうぶんに戦える一品だ。独特の土っぽい風味があるので、醤油をちろりとやると香ばしさが加わってまたおいしい。  土っぽい風味の芋といえば、ひじきさん主催のじゃがいも食べ比べイベント( 吉祥寺イモタスカップ )で初めて頂いた「農林一号」が思...

売り上手の友

 ありがたいことに9月から新しいお仕事を請け負う運びとなり、とにもかくにもキーボードを叩いている。並行して主催するアンソロジーの編集作業もあるものだから、キー氏との親交は深まるばかりだ。  畢竟、作業の効率を上げるためと言いながら机周りの掃除をしたり、どうでもよいファイルの整理をしたりする機会も増える。図書館で本だって借りてしまうし、ユザワヤで秋冬用の毛糸を買いもしてしまうのだ。  夏の終わり、それは毛糸の季節の始まり。  素直に夏の終わりを謳うにはまだ日中の気温が高すぎる気もするけれど、ひとまず暦の上では、毛糸のシーズンが到来している。夏には夏の糸があり、夏の編み物があろう。私だって編み物熱が再燃したのは酷暑ど真ん中であった。しかし、やはり未だ、編み物が盛り上がる季節といえば秋冬であるのだ。  私の腕が拙いこともあり、夏の編み物で愛されている細くてさらりとしたコットンや綿の糸よりも、これから台頭してゆくであろう暖かなウール系の、太くて適度な引っかかりのある糸のほうが俄然編みやすい――と、そういう事情もある。  そういう事情でウール糸がほしくなり、ユザワヤへ行き、まんまと友の会に入会して帰ってきた。だって宣伝ポスターでは「友の会メンバーならほぼ全品10%OFFだよ」と掲げながら、実際の売り場では20%とか30%とか、しれっと割り引いてくるから……。  ほしかった糸は手袋用で、編み図からして並太糸で150m、いや手首を長めにしたいから余らせる心算で200mもあればと目星をつけて店へと繰り出し、まんまと10玉入り(540m相当)の大袋を提げて帰ってきた。だって友の会会員なら通常20%OFFのところ、同色10玉同時購入で30%OFFになるっていうから……ベーシックな黒のウールだからなんにだって使えるし……絶対無駄にはならないし……。  この感じ、あれに似ている。色上質紙やノートを前にすると「いずれ使うものだから」とかなんとか理由をつけて、必要量の2割増しで買ってしまう、あの感覚に。  私という人間は昔から「さあやるぞ」と手仕事のギアが入った折、素材を過剰にストックしがちだ。心配性だからではない。素材、それそのものが好きなのだ。手を加えることが前提となったモノはそれだけで大変に創作意欲をくすぐるし、〈素〉であるゆえのあっさりとした佇まいも愛らしい。そんな愛らしい素材たちがた...

自分で増やして自分でほどいて

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 むらくもやま日記が始まって、もう一年も経つとは!  遡ってみると、私は昨年の7月29日付で「日のくれぬうちに」と題した日記を書いていた。あの文章で触れたポストカードはまだ机の横に貼ってあり、憂いた夏の暑さは更にパワーアップして我々を襲っている。梅雨が明けてからは外気もわずかにカラッとしたような気がしなくもないけれど、それでも暑いことには変わりない。  くらくらするほどの熱気の中、私は店で初めてのイベントを開催したり、YouTubeに動画の投稿を始めてみたり、合間にワークショップの運営手伝いをしたり、主催する文芸誌の原稿をもりもり拝読したりしていた。  やけに働いた気になっていたが、こうして書き連ねてみると自分で作り自分で増やした仕事ばかりだ。あとはこれらの仕事のいずれかが、慎ましく暮らし続けられるだけのお金になればよいのだけれど……まあ、それは追々、いつか、そのうちに。  せめて気持ちだけはへこたれぬよう、むんと胸を張って水筒を抱える日々であります。お二人も、くれぐれもご自愛ください。  さて、そんな日々の中、唐突に編み物に目覚めている。  これは初めて編んだペンケース。愛用の万年筆と水性ペンは問題なく入ったものの、メタシルという短くならない鉛筆の頭が突き出すため、今はかぎ針入れになっている。  こっちは、その次に編んだスマホを入れるポシェット。色も形も上手くいったはずが、いざ使ったところ中に入れたスマホの重みで面白いほど肩紐が伸びた。  ただでさえ猛暑たる今、なぜ編み物に手を出したのか。きっかけは先述したYouTubeの動画投稿だ。  私も動画編集を始めるまで知らなかったのだけれど、動画というのは編集した後に「書き出し」という作業が発生する。編集時に追加した音楽やら効果音やらをまとめ、一つの動画データにするのだ。画像でいうところのレイヤー統合や、ラスタライズのようなイメージだろうか。  書き出し作業といっても私のやることはボタンを一度押すだけなのだが、大変なのはこの後だ。  私のパソコンはもともと、仕事と文章作成と……あとは同人誌の表紙を作ることにしか使わない想定で買い求めたものである。動画を編集して書き出して、なんてことをするには、たぶんスペックが少し足りないのだろう。  つまり何が起こるかというと、この「書き出し」ボタンを押した後、完了するまでにそれなりの時...

背中で合掌

ひじきさんが文披について触れていた。定期更新に不安があるとのことだったが、安心してほしい。現在すでに七月の十五日だけれど、私はまだ二日目の文を披いている最中だ。 たしか去年も、翌年の六月くらいまで取り組んでいたのではなかったっけ……企画の主催さんが「期限はとくに定めないよ」と公言しておられるため、全力で甘えているのだった。今年も甘える予定です。日ごと順繰りにお題を消化するとしておきながら、まだDAY1のお題分しか書き上げていない参加者なんて私くらいのものじゃないだろうか。皆の希望の光として、今年もじっくり取り組んでゆきたいと思う。 そんなこんなで七月の中旬である。つい先日、私は人生で初の体験をした。クロップドトップス、いわゆる「へそ出し」の服に手を出したのだ。 私も昨年までは戸惑いがあった。こんな歳でああも肌を出す服を着たりしたら、さすがにお腹を壊してしまうんじゃないかしら。大人たるもの、いついかなるときも腹だけは温めておくべきじゃないかしら……と。 しかして、この暑さである。猛暑酷暑をゆうに超え、最近は「殺人的な暑さ」なんて言葉まで耳にする始末。とにもかくにも、大切なのは体温を上げすぎないこと。ひいては熱中症の予防。それ以外に何を気にすべきだというのだろう。 そういった気持ちで腹を出し始め、わかったことがある。 まず、腹を出すと、大変に姿勢がよくなる。私が見栄っ張りだからかもしれないが、可能であれば可能なかぎり、町中のショーウィンドウに映る自分は自分の望むような姿をしていたい。具体的には、お腹はそこそこに凹み、腹筋の筋は美しく浮き上がっていてほしい。となると自然、体幹が常に緊張するようになるのだ。これはいい筋トレになる。何につけても、筋肉、すなわちパワーがあるのはよいことだ。 そして腹を出すと、出さぬうちは知り得なかった自分自身について知ることができる。私は腹を出すようになり、露出する肌に日焼け止めを塗るようになって初めて、自分の腹のあたりにある薄い痣だとかほくろだとか、むかし怪我をしてちょっと硬くなっている箇所だとかをまじまじと見た。 この身体とは三十年以上の付き合いだ。ゆえに私は私のことを、少なくとも半分くらいは理解しコントロールしえている。そう自負していたのだけれど……どうやらそれは間違いであったらしい。私は自分の身体のことを、あまりにも知らない。 お腹だけ...

サボりの才

いやはや、すっかり寝込んでおりました。病院で調べてもらったところ、運よくただの風邪であったからよかったものの……。 今回の体調不良のきっかけには心当たりがある。連日の暑さで今季初めてクーラーを使ったのだけれど、駆動前にフィルターの掃除をしていなかった。であるがため、フィルターに付着していた埃がアレルギーを引き起こしたようなのだ。そのアレルギー反応でくしゃみを連発した結果、喉が荒れ、荒れた喉が細菌をくっつけてしまったらしい。 臥せっている間は、ひじきさんの日記でも触れられていた文披に参加するためのネタを考えたり、ベッドに寝転がりながらスマートフォンで出来る範囲の事務作業をしたりしていた。縦になっているとつらいばかりなのに、横になると気持ちだけは元気になり、何かをしていないと落ち着かない。いったいどうしたことだろう。 いや、しかし。思い返せば私は昔から、「他の人が当然〇〇をしている時間に、自分だけ違うことをする」という瞬間に人並外れた喜びを感ずる人間だった。サボることが大好きであったし、得意でもあったのだ。 保育園に通っていたときはしょっちゅう図書館の本を持ち出しては各部屋の掃除道具入れ等に籠ってお昼寝だのご飯だのをスキップしようとするのみならず、頻繁に園からの脱走を試みて先生方の手を煩わせる子供だったという。小学生の頃はやたらと身体が弱く、出席日数ギリギリで義務教育を脱したと聞く。学生の時分はノルマさえこなせば出席は不要な授業ばかりを選択していたし、新卒で入社した非常に環境のよい会社を「きまった時間に電車に乗るのがどうしても無理」という理由で退社し、それ以降はとかく時間に縛られないその日暮らしの請負業で日々をなんとかしてきた。 こうして振り返ると、これほど〝サボり〟に向いた人間もいない。 それなりに歳を経て、このサボりの才を鑑みた上でなんとかこなせる生業のようなものも見つけたつもりだ。だから療養するときにこそ、この才を如何なく発揮してほしいものだけれど……どうにもこの余りある才が邪魔をして、休むべくときには却って何かしらを成そうとしてしまうらしい。心からやめてほしい。もうそんな横車を押せる歳ではないのだから。 職場の知人によると、エアコンのフィルターはおおよそ週一、野菜を洗ったザルと同じノリでさっと水洗いしたのち風に当てて乾かすと、アレルギー対策的にも冷房効率的にもよ...

金色のうつわ

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三人ともが文学フリマ東京にまつわる日記を書き、最後にひじきさんが素敵なお写真とともに楽しいアフターご飯の話をまとめてくれた。なんだかようやく文学フリマが終わったような心地だ。 文学フリマが終わった。それはつまり、次のイベントに向けた本の原稿執筆が始まるということを意味する。しずしずと書いております。 さて、しずしずなどと形容しつつ、実際はそれなりにカツカツなスケジュールでカチカチとキーボードを叩いているここ数日である。そんな日々のなか、仕事の手を意図して止めた「完全オフの日」に、近所の店で新しいお皿を買った。 手のひらにすっぽり収まる、丸くて平たいお皿だ。 散歩がてらに入った初めての店で一目惚れをし、とはいえちょっと冷静になろうと一度帰宅して軽い夕食など摂り、やっぱりほしくなって店に戻ってしまった。完膚なきまでの衝動買いだけれど後悔はない。 アルミニウム製のこれは「くらしの金具・里山(りせん)」という工房のお作で、眩い金色はなんと草木染め、しかも玉ねぎを用いて出したものなのだそうだ。 手作りの品らしく皿の縁は少しだけ歪で、そのゆがみが生むむにっとしたシルエットが大変に愛おしい。 持ち帰った皿を軽く水ですすいで、さあ我が家での初仕事。ベビーチーズと、頂き物のいくらを盛ってみた。ベビーチーズはお写真を撮る前にちょっと齧ってしまったけど……。 どうでしょう? 可愛くないですか? 齧ってしまったベビーチーズの凸凹からでさえ、なにがしかの美しさを感じ取れてしまいそうだ。 素敵なお皿が家にあると、それだけで日常が少し違って見える。このお皿には何を乗せようかと考える時間は、えもいわれぬ豊かさを我が家にもたらしてくれた。生活のうるおいというやつだ。 ……なんて高尚なことを言いながら、乗っかっているのはいつものお酒のつまみ(しかも齧りかけ)なあたり格好はつけきれないが、まあこれも生活ということで。 お二人にこの可愛いお品を「見て見て!」したい、ただそれだけの日記でありました。